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恵那レーマミニストリー / ERM聖書学校(教室制・通信制)
〒509-7201 岐阜県恵那市大井町1605-35 TEL&FAX:0573-25-8237
著者:徐 起源
出版:恵那レーマミニストリー
定価:1.300円
著者:徐 起源
出版:恵那レーマミニストリー
定価:1.200円
信仰とは、永遠のいのちだけを握って、ただ、試練に耐えていくことでしょうか?
信仰は、神様から与えられた賜物、ギフトです。(エペソ2:8)
その信仰を使えば、山も動くのです。(マルコ11:23)
この本は、あなたの信仰を働かせる実践マニュアルです。
※ハーザー誌において書評を頂きました。
また、インターネット報道機関クリスチャン・トゥデイ、さらに、小牧者「i-ポエマ」サイト上の「話題の新刊&おすすめ」においても、紹介・推薦して頂きました。関係者の方々、先生方に感謝致します。
著者:徐 起源
出版:恵那レーマミニストリー
定価:1.300円
この書籍を読んだだけで、癒しが起こっています。
【末期癌】から癒され退院
不動産5千万円程を全て売り払い、治療費にしても、治らなかった【白血病】が、見事に癒され現在、飲食店を経営
【十万人に一人という慢性炎症性脱髄性多発神経症】の方が、義を理解し癒されました。
「主の目は義人たちに注がれ、/主の耳は彼らの祈にかたむく。ーーーー
ペテロの第一の手紙 3:12 口語
ハーザー誌 2006年03月 141号 p.63 / 書評
マルコーシュ・パブリケーション 編集部
「今月のお奨め図書」
キリスト教用語というものがあり、実のところクリスチャンでも正確に理解しているとは言えない言葉がある。
その一つに「義」がある。
本書はその「義」を五方面からわりやすく解き明かしている。
- 神からの賜物 義
- 義人は信仰によって生きる
- 二つの義
- 義は賜物である
- 義人よ 起きなさい
という具合だ。
神学的な用語で「義認」という言葉もなかなか日本人には理解できない。むしろ律法主義的に、何かをすれば救われると言われた方が簡単だ。これは一般仏教や日本の伝統的な道徳の影響だと思う。
ところが、キリスト教は信じるだけで義と認められるというから、たいへんなジレンマなのである。
本書ではそのジレンマを徹底的に解明しようとするものだ。
しかし、神学的、理論的なものではなく、メッセージで語ったものをテープ起こしをしたものなので、話し言葉でまとまっていて親しみがある。その分、編集の荒さも目に付くが、証もふんだんに入って読みやすい。
リバイバル新聞 2006年03月12日(日) 通巻444号 新刊評
キリストの福音大分教会牧師 釘宮 義人
驚くべき、この陽気さ
キリスト教用語というものがあり、実のところクリスチャンでも正確に理解しているとは言えない言葉がある。その一つに「義」がある。
著書の徐起源先生はこう言っておられるようである。
「信仰生活を送る上で神の義を知り、それを活用することは最も大切なことの一つである。今、多くのクリスチャンには、それが隠されてしまっているのではないだろうか」と。
また、次のような方々にこの本を読んでほしいと言って、11ほどの項目を挙げておられる。
その中から四つを選び出すと、
- 苦しいクリスチャン生活をしている方
- 罪責感に捕らわれている方
- 祈りが天に届いていると感じない方
- 信仰生活にアップダウンのある方
---という具合だ。
こうした人たちが、この本を学んだらきっと楽しいクリスチャン・ライフを過ごせるようになると信じていると、徐先生は言われる。
本書の基本的な主張は信仰義認である。罪人が罪あるままに義人と認めていただく。それはイエス・キリストの十字架の血によるあがないの結果である。クロスビーの聖歌(404番)ではないが、「罪と汚れのあらばあるまま」に、自分を神が義人として認めて下さるという恵みの信仰である。
この時、多くのクリスチャンにとって、自分の罪や汚れの自己認識は依然として残って消えないが、しかし同時に自分は義人として神に認めていただいているという深い確信がある。この二つの相反する確信の緊張関係の中で生きているということになる。難しく言えば弁証法的ということができる。
しかし、徐先生はそんなややこしいことは言わない。神が自分を義人と認めて下さったのだから、自分は本当に義人なのだ、神は自分が全き義人であることを保証して下さるのだ、という。驚くべき陽気さがあると思う。
とはいえ、「徐先生、あなたは決して罪を犯すことはないのですか。時には小さくても罪や失敗の一、二はやるでしょうに」、こう聞いたら著者は何と答えるだろうか。それを知りたければ、ぜひ本書をお読みいただきたい。先生の「驚くべき陽気さ」の秘訣が分かると思う。