今回は聖書学校が計画されていますので、一緒に考えてみたいと思います。
リバイバルは皆さんどのように起こると思いますか。
昭和の初期にリバイバルがあって、多くの人が教会に来て礼拝していたそうですが、
多くの作家も聖書を読み影響を受けていましたし、私の幼い時の記憶の中にも、
教会の中に人々が神を求めていた姿を思い出すことが出来ます。
でも最近までは、その人々はどこに行ってしまったのかなと思われる状態でした。
私はこのように思います。昭和の初期のリバイバルはまだ、
完全に収穫の準備が整う前に起こったリバイバルと思います。
もし、準備が整っていたのなら、昭和初期の何百倍の人が救われ、
教会に根付ていたと思います。
これから、リバイバルを迎える私たちは、
同じことを繰り返してはいけないと思います。
では、リバイバルが起きた時、
1匹も収穫の魚を逃さない準備とはどんなものでしょう。
魚を逃さないようにするには、
網を張って収穫を待っている状態でなければならないと思います。
しかも、破れた箇所のない完全な網で待っていなければ、いけないと思います。
では、どのような網を準備したら良いのでしょう。
Ⅰコリント1:10では、パウロが願っている事が、
「・・同じ心、同じ判断を完全に保つように」と言っています。
別の言葉では、エペソ4:11~13の13節で
信仰の一致と聖書に関する知識の一致を言っているのではないでしょうか。
そのためには11節、5つの奉仕者の回復をなす教育システムが1つ要因と
なると思います。
聖書に関する知識の一致に関しては、聖書に根拠を置いた教えが必要と思います。
信仰の一致についてはローマ10:17にあるように
聖書のことば(神のことば)を聞いて信仰が成長するのですから、
神のことばに伴う実践が必要と思います。
このような網を一人で成し遂げる事は時間の無駄であり、
一人で一億人を教える事は不可能なことです。
多くの人に教えることと奉仕をしていただくことが必要なのですが、
たとえば、悪霊追い出しする場合、馴れない人がする場合、
夜明けまでかかることがあります。
「明日は仕事、牛乳配達のアルバイトがあるので、今日はこれまで」と
いうことでは、せっかく習得した、信じる者のしるしを用いて
苦しんでいる人を解放できません。
そこで、ERM聖書学校は習得者だけに教育マニュアルを差し上げ、
その地域で学校を開校してもらい、
その収入で奉仕に専念できるシステムを考えています。
悪霊解放を求める方には、奉仕として専念できる体制ができると信じています。