現在、京都でリバイバルに協力してくださる教会と取り組んでいます。
京都で、スタッフが通いやすく、無料で貸してくださる所を祈っています。
そして此処が日本リバイバルの基地となると信じます。どうぞ、お祈り下さい。
さて、マルコ11:24では何故、祈る時に過去形で祈るのか?
「・・・なったと信じなさい。」 祈った時、まだ、手に入れておらず、持っていません。だから、「信じます。」というのですが、でも、何故、過去形で信じなければならないのか?
私たちは、聖書を読む時、不思議なことに、これから起こることが、
黙示録の中で既に、神様は見ておられる、知っておられる。
また、その表現は過去形で書かれているのです。
ある有名な先生がこのような表現をしておられました。
「一度、神が完成された絵をパズルにして壊して、今、現実の世界でパズルをハメ直している。」
私たちには、未来のことなのですが、それは、既に終わっていた事というのです。
すばらしい、御言葉を紹介いたします。
伝道者の書3:15です。「今あることは、すでにあったこと。
これからあることも、すでにあったこと。・・・」
欽定訳では「・・・」は、「神は過去のことを要求する。」とあります。
ヘブル4:3「————みわざは、創世の初めから、もう終わっているのです。」
みなさん、�ペテロ2:24も、イエス様が来られる前の
イザヤ53:4,5も過去形で書かれています。
祈りは「・・・して下さい」でなく、「・・・になった。」と信じていきましょう。
あなたの人生に主は既に、先々に手回し、
成功するように定めています。エペソ2:10
では次回をお楽しみに・・・
主イエスの特別な守りと祝福をお祈り致します。
では、シャローム。