今日は霊の祈りですが、これは知性の祈りの続きでしたね。
Ⅰコリント14:14,15をお読みください。
14節では異言で祈るなら、霊で祈っていると書いてあります。
知性の祈り(例えば、日本語の祈り)で、
素晴らしい祈りを聞くことがありますね。
これは霊の祈りでなくて、殆どが、
人間が考えた知性の言葉の祈りではないでしょうか。
聖書は異言の祈りは霊の祈りだと断言しているからです。
(霊と魂の違いが良く解からない人は
神の声を聞くシリーズ⑤神の声を聞く 霊、魂、体。
E131:たましいの救い をお聞きください。)
では、異言は、どのように祈るのでしょう。
使徒2:4の主語と述語を読んで下さい。
このようになりますね。「みなが、話しだした。」
彼らは自分自身で口を動かして語っていたのです。
口が勝手に語るのを待つのではないのです。
異言を語る、語らないは自分でコントロールできると、
Ⅰコリント14:27,28に、黙る事ができるとあり、
Ⅰコリント14:32では、預言する、
しないは預言者が語る意志に制限されるとあります。
預言は預言者が考えた事を言うのではなく、
主から戴いた言葉を語るのですが、同じように、
異言も考えた言葉でなく、霊から来る言葉を語るのですね。
さて、先回例外の霊の祈りについて学びたいと約束しましたので、
見てみましょう。
霊の祈りは知性(魂)の祈りはない、と先回学びました。
例外的霊の祈りとは、預言の祈りです。
預言は日本語とか、私たちが理解できる言葉ですから、
知性の祈りのように思われますが、その人の事情、
状況が解からないのにその人に適切な祈りをするのですから、
決して自分の考えで祈っているのではなく、
霊に導かれて祈っているのです。これも、霊の祈りです。
次回は異言と預言の違いを見てみましょう。
では、シャローム。