今日も聖霊を受けたしるしの異言でしたね。
Ⅰコリント14:14,15をお読みください
祈りは大きく分けると、2種類あると言っているのではないでしょうか。
15節で霊の祈りと知性の祈りと表現されています。
知性の祈りとは日本人であれば、日本語、韓国人であれば、
韓国語ですね、知性、頭脳を使う祈りですね。別の言葉でいえば、魂の祈りです。
(霊魂の区別の曖昧の人は、神の声を聞くシリーズ⑦神の声を聞く霊魂体、
同シリーズ⑤肉の思いと御霊の思い、E131:たましいの救い をお聞きください。)
知性の祈りは、Ⅰテモテ2:1に、願いの祈り、祈り、とりなしの祈り、
感謝の祈りと一例が書かれています。
(詳しく祈りについて学びたい方は祈りの学びシリーズをお聞きください。)
さて、霊の祈りですが、これは知性の祈りでないものです。
14節では異言で祈るなら、霊で祈っていると書いてあります。
知性の祈り(例えば、日本語の祈り)で、
素晴らしい祈りを聞くことがありますね。
これは霊の祈りでなくて、
殆どが、人間が考えた知性の言葉の祈りではないでしょうか。
聖書は異言の祈りは霊の祈りだと断言しているからです。
では、霊の祈りとはどんな祈りでしょう。
ローマ8:26,27 言いようのない深いうめきで、
私たちの為にとりなして下さる聖霊様の祈り。
しかも100%神の御心どおりの祈りとあります。
知性の祈りはその人の聖書の知識によりますが、
神の御心どおりの祈りをしているのか疑問があります。
途中になりましたが、
次回は本論の続きと例外の霊の祈りについて学びたいと思います。
では、シャローム。