さて、神から頂いた自由の用い方でしたね。
先回は、自分の義でなく、神の義を頂いたのです、と学びました。
ローマ8:1で、決して罪に定められないと書いてあります。
主イエスを信じた者は自由なのです。
自由だから何でもして良いのでしょうか。
決して罪に定められないのですから、罪を犯し続けて良いのでしょうか?
ローマ6:16「・・・あなたがたが、自分の身をささげて,
奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、・・・」
とあります。
自由とはお酒を飲む事も、タバコを吸うことも、
クリスチャンとして自由であるけれど、もし、お酒を飲まずには居れない、
タバコを吸わずには居れないならば、自由人として、選択するのではなく、
お酒、タバコの奴隷になっているのではないですか?と言っているのです。
あなたはイエス様を信じたらあなたの中に
イエス様が住んでおられますので、
タバコを吸えばイエス様は煙たいだろうな、アルコールで酔う事より、
神の霊に酔う方を喜ばれるだろうな。神様から頂いた体だから止めよう、
と出来る事が自由ではないでしょうか。
もし、何かの奴隷となっている人が居られましたなら、
自分の力で出来ないようですから、
�コリント3:18「・・・変えられて行く、これはまさに、
御霊なる主の働きによるのです。」
と、ありますから、今、飲んでいても、吸っていても、
自分を駄目だと責めないで、日々、
変えられて行く事を信じて生活をする時、気付いた時には、
自然に止んでいる自分を知るでしょう。
奴隷でなく、自由の意思を持って飲まない、
吸わないことを選択できる自由人となるのです。
全ての事を自由人として選択できる人にしていただきましょう。
ローマ8:15「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、
奴隷の霊を受けたのでなく、
子としてくださる御霊を受けたのです。・・・」
では、シャローム。