あなたは人生に、信仰生活に疲れてはいませんか
正しく生きたいと思っても、正しい事を続けることが出来ない。
これでも、成人といえるのだろうか、これでも、親といえるだろうか、
これでも、クリスチャンだろうか、これでも聖職者といえるだろうか
「医者を必要とするのは丈夫のものでなく、病人です。
・・・わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイ9:12,13
私たちは正しいこと続けて出来ない者だからこそ、
イエス・キリストが必要なのです。
わたしはクリスチャンだから、
この言葉は私には当てはまらないと思っている方は居られますか。
神様は私たちに義人(罪の全くない者)であれと言われましたが、
あなたは自分の努力でガンバっていませんか。
義人はいない。ひとりもいない。
ローマ3:10
だれでも、キリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべたが新しくなりました。
�コリント5:17
あなたは新しい人になって、義人となったのですから、
一生懸命努力したと思います。
努力すればするほど、クリスチャンはこうあるべきだ、
牧師はこうあるべきだという基準から離れている自分を見て
落ち込んでいませんか。聖書はいつも喜んでいなさい。
とありますが、いつも、悲しんでいませんか。
義とは何でしょう。
義の賜物を豊かに恵みで受けたとローマ5:17にあります。
賜物はギフト、プレゼントです。
努力して得るものでなく既に頂いているのです。
それは人間の義ではなく、神の義を頂いたのです。
ローマ3:21,22では神の義を頂いたとあります。
義とは頂いたものなのです。
私たちは義を行うことが出来ない時に感謝しようではありませんか、
義を行えないから、イエス様が死んでくださり、
過去、現在、未来の罪をも負って下さり、信じるものに神の義を下さったのです。
次回は神から頂いた自由の用い方を予定しています。
では、シャローム。