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2024年8月26日 京都聖会

恵那クリスチャンセンター
メッセージ:神内源一牧師

「 I AM that I AM. 」  18

「あなたがたの父アブラハムは、私の日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」(ヨハネ8:56)

アブラハムがイエス様の日を見ることを思って喜んでいたとはどういうことでしょうか。

アブラハムとの契約です。

アブラハムは神様と契約をしました。その時にこのイエス様の日のことが語られています。

「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。」(創世記17:7)

アブラハムの後の子孫はイエス様です。

このこともアブラハムは大いに喜んで待っているということを言っているのです。

分からないと、この後の子孫というのはユダヤ人のことだと思いますが、実はイエス様のことだと私たちは知っています。

ガラテヤ人への手紙に、イエス様だということが書いてあります。

「ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。」(ガラテア3:16)

この契約を大いに喜んでいたということです。

「そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」(ヨハネ8:57)

彼らは霊の世界がわからない。

イエス様が言われていることもわからない。

現実の世界の中にいて、イエス様が天から地上に来たこともわからない人にはわからないでしょう。

ーーーーーーー 18

「イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」(ヨハネ8:58)

この人は今、ここにヨセフの子どもとして生きている。こういう視点ではわからないのです。

私たちがクリスチャンになって霊的に新しい存在になっていることを信じていても、自分で今よりよいクリスチャンになろうとしている間は立っている土俵が違うので苦しみます。

私たちはイエス様の中にいて外からはイエス様になっている。

それを信じることができた時、あなたは、もうちょっと頑張らないといけない、いつになったら罪を犯さないものになるのだろうなどと思い煩う必要はないのです。

強くなった、完全なったと信じさえすればいいのです。

ヨハネ8:58のアブラハムが生まれる前から、「わたしはいるのです」の footnoteを見ますと、あるいは「あった」と訳すとあります。英語の聖書では < Abraham was, I AM> 私はあった。アブラハムがいたときに私はいたと言っています。

神様は何ですか。< I am that I AM >

イエス様は何ですか。< I am HE >

私はメシヤ。だからアブラハムがいた時は私もいた。

このような存在だということです。

現実の世界で今生きています。今何歳ですか。

こう言う時、神がわからないのです。

彼らはわからないのでイエス様に石を投げつけようとしたけれど、イエス様は身をかわして宮から出ていかれました。

ヨハネの福音書は霊的に深いですから理解していくと、ますます霊の世界が分かってきます。

クリスチャン生活とは、私たちが地上にあって足らないものを求めるのではなくて、霊の世界に何があるかということを理解することです。

これは預金通帳なのです。

天国の銀行に何があるかが書いてあるので、全部過去形です。

なぜ過去形かというと既にあるということです。

多くの人は、幸せにしてください、まだ痛いです、治してくださいといつも未来形で求めます。

そうではなく、聖書が言っているのは霊の世界に既にあるものを、霊の世界で受けるということです。

もうあるから過去形で受け取りなさいと言っているのです。

これを理解しない限り、何も得ることは出来ません。

信仰とは、信じるということは、今はない、だから信じるのです。ーーー19

多くの人は信じるというときは、未来を信じるのです。直るということを信じる。これは違うのです。

霊の世界でなったということを信じる。

そうでない限りそれはいつまでも未来形で、いつまでも追い続けていく。今日も、明日も、十年経っても未来形です。

私たちがすることは未来を信じるのではなく、霊の世界に既にあることは何かを見つけて

「そこにある!ありがとうございます。感謝します。」と、言うことです。

「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:24)

霊の世界にあるが、今は現実になっていないから信じます。

現実の世界では信じる。

霊の世界は過去形。既に成っている。

これを信じる時、あなたの人生は災いでない平安であり将来と希望溢れるものだと言う通りになるのです。

だから私たちは色んな問題があっても悩みません。

必ず解決すると信じています。

今問題の中にあっても脱出の道が用意されている、耐えられない試練は来ない、必ず解決すると信じています。(Ⅰコリント10:13)

だから落ち込まない。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝できるのはこの霊の世界の過去形を知った時にできるのです。(Ⅰテサロニケ5:16~18)

だから私たちが理解した時、私たちの人生は変わっていくということです。

天のお父様、感謝します。全てになされた栄光をあなたにお返しします。私たちが正しい信仰の歩み方を知り、祝福を得ていく原則に従っていく時に、霊の世界を理解し、決して罪に定められない人生を歩んでいけることを感謝します。

主イエス・キリストの御恵み、神の愛、聖霊の親しき交わりが豊かに豊かに皆さんの上にありますように祝福します。

イエス様の名前でアーメン

 

 

 

 

 


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