完全武装 http…
2024年8月26日 京都聖会
恵那クリスチャンセンター
メッセージ:神内源一牧師
「 I AM that I AM. 」 1
今日はヨハネ8章を見ていきます。
イエス様を試すために、モーセの律法によれば石打ちの刑となる姦淫の罪で捕らえられた女を
律法学者、パリサイ人が連れてきました。
ヨハネ8:6、イエス様は身をかがめて地面に指で何かを書いておられます。
イエス様への問いかけが止まなかったので
ヨハネ8:7、イエス様は「あなたがたのうちで罪のない者が、
最初に彼女に石を投げなさい。」と言われ、またもう一度身をかがめて地面に何かを書かれます。
そこにいる人たちはイエス様が地面に書いていたものを見たと思います。
書かれていたものは、その人たちが行った罪だと思います。
あなたはこういうことをしなかったかと書いていたのでしょう。
ヨハネ8:9、すると人生経験の高い年長者から、自分のことを言われたと気づき一人一人出ていきました。
そしてその女だけが残りました。
ヨハネ8:10、イエス様が「
婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」と訊ねました。
「だれもいません。」と彼女は答えます。
ヨハネ8:11、イエス様は、「わたしもあなたを罪に定めない。
行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」と言われました。
「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。
わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)
女は確かに姦淫の罪を犯しましたが、「二度と罪を犯してはいけない」と言われました。
女は、イエス様は世の光であってイエス様に従っていこうという思いを持ったと思います。
イエス様は、ご自分に従う者は、やみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つ者となると言われました。
イエス様はさばくことができます。また赦しの神であり、
私たちの身代わりとなってくださる神です。
ところがパリサイ人がイエス様に対して文句を言いました。
続く
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「 I AM that I AM. 」 2
「そこでパリサイ人はイエスに行った。「あなたは自分のことを自分で証言しています。
だから、あなたの証言は真実ではありません。」(ヨハネ8:13)
パリサイ人は、イエス様が自分のことを自分で証言しているからあなたは間違っている、
真実ではないと言います。
このパリサイ人は聖書をよく知っている人で、ヨハネ7章18節に照らし合わせて、
イエス様の言っていることは正しくないではないかと訴えたのです。
「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。
しかし自分を遣わされた方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。」(ヨハネ7:18)
パリサイ人は、イエス様が自分のことを自分で語っているから正しくないと主張しました。
「わたしは、自分から話したのではありません。
わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。」(ヨハネ12:49)
パリサイ人は自分で言っているのではないかと追及しますが、
イエス様は自分の口で話しましたが、父が語れということを話していると言われました。
私たちもクリスチャン生活をしていく中で、色々なことを自分の口で言いますが、主が語れと言ったことかどうかです。
レベルが高くなってきますと預言をする機会もあると思います。
自分で思ったことを預言することもありますし、サタンが言っていることを預言してしまうことがあります。
私たちは神様、イエス様が何と言っているかという見極めができないと預言はできません。
そのためにやはり聖書を知らないといけません。
聖霊の声は絶対に聖書と合っているので、聖書を知らないと、
聖霊が語っている言葉かどうか見極めができません。
聖書知識をしっかり持つことが大切だと思います。
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人の目から見るとイエス様ご自身が語っているように見えますが、
イエス様の証言は真実です。
どういう点でイエス様が正しいかという理由を述べています。
続く
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「 I AM that I AM. 」 3
人の目から見るとイエス様ご自身が語っているように見えますが、
イエス様の証言は真実です。
どういう点でイエス様が正しいかという理由を述べています。
「イエスは答えて、彼らに言われた。「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、
その証言は真実です。わたしは、わたしがどこから来たか、
また、どこへ行くかを知っているからです。
しかしあなたがたは、わたしがどこから来たのか、
またどこへ行くのか知りません。」(ヨハネ8:14)
虚偽を言うなら真実ではありませんが、
イエス様は、道であり、真理であり、いのちです。
イエス様が真理そのものですから、
真理の方が話していることに、人の裏付けは必要ありません。
真理そのものの方が語られるのです。ゆえに間違いがない。
どこから来てどこへ行くのかも知らない者が自分から語ることは正しくないということです。
人々は何によって裁こうとしたのでしょうか。
「あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。」(ヨハネ8:15)
肉によって裁く、それは自分自身の判断でさばくことです。
イエス様は誰もさばきません。しかし、さばくとしたらイエス様のさばきは正しいです。
「しかし、わたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。
なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくのだからです。」(ヨハネ8:16)
イエス様一人ではなく、イエス様とイエス様を遣わした方、
天の父と一緒にさばくので正しいのだということを言われました。
「わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。
しかし、わたしを遣わした方は真実であって、
わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです。」(ヨハネ8:26)
イエス様の目から見てさばくところがあるのだけれど、自分からは語っていない。
だからイエス様のさばきは正しいということです。
ところがこのパリサイ人たちは自分の判断、自分の肉によってさばいているので正しくないということです。
先ほどのヨハネ7:18、自分から語るのは正しくないということと同じだということです。
「あなたがたの律法にも、ふたりの証言は真実と書かれています。」(ヨハネ8:17)
律法にも二人の証言は真実と書いてある。
だから私のさばきは私と父がしているので正しいということです。
「わたしが自分の証人であり、また、わたしを遣わした父が、わたしについてあかしされています。」(ヨハネ8:18)
イエス様ご自身が真理であるので自分自身で証人となり得る。
また父が証ししてくださる。それゆえ正しいということです。
ーーーーー3
「すると、彼らはイエス様に言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」
イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知りません。
もし、あなたがたが私を知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。」(ヨハネ8:19)
今日私たちがしっかり知らなければいけないのは、
彼らの質問に対する答えです。
続く
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「 I AM that I AM. 」 4
「すると、彼らはイエス様に言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」
イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知りません。
もし、あなたがたが私を知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。」(ヨハネ8:19)
今日私たちがしっかり知らなければいけないのは、彼らの質問に対する答えです。
私たちはイエス様を信じています。
そしてイエス様の父である方はどこにいるのかということを、
私たちが知る。これは大切です。
「あなたがたは、わたしをも、
わたしの父をも知りません。」
彼らは知らないのです。また知ることもできないでしょう。
「もし、あなたがたが私を知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。」
イエス様は天の父から遣わされた人ですから、
彼らが父を知っていたら、イエス様が父の目的で来ている、
父から遣わされたことが分かるはずだということです。
神がどこにいて、イエス様が何者であるのかということを、私たちは知っていきます。
しかし、多くの方は知りません。
なぜ、そうなるのでしょうか。
「イエスはまた彼らに言われた。「わたしは去って行きます。
あなたがたはわたしを捜すけれども、自分の罪の中で死にます。
わたしが行く所に、あなたがたは来ることができません。」(ヨハネ8:21)
私たちは地上に生きています。
多くの未信者の方々はイエス様の言っていることはわからない。
今私たちが伝道してもなかなか分かってくれません。
ではイエス様が話したら分かるのか。
ところが分からなかったのです。
彼ら自身の価値観、判断が違うのです。
彼らは天国が分かっていない。天の父が分からない。イエス様が分からない。
霊の世界が分からないのです。
私たちは霊の世界があって、霊の世界に何があり、
私たちが何をもらっているのかを信じています。
病気で、主よ、治してくださいという時、悪魔がお前は治っていないじゃないか、
治ったというのは嘘だろうと言ってきても、私たちが真理を知ると、何が正しいのか判断できます。
ペットボトルがここにあるということは本当ですが、真理ではありません。
真理からみると、ペットボトルがここにあるということは嘘になります。
これが分からないと聖書が分からない。
あなたの体に病気が残っていることは現実です。治っていないのは本当です。
サタンはこの世の神なので、現実にそこに病気があるかどうかを彼らは判断できます。
ところが私たちが信じている、見ているのは霊の世界なのです。
「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。
天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、
王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。
万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」(コロサイ1:16)
神様は二つのもの、見える世界と見えない世界、現実の世界と霊の世界を造りました。
私たちが信じるは霊の世界です。
地上にいる多くの人は地上では見えない霊の世界のことが分からない。
だから、現実、病気が直っていないと、イエス様は霊の世界のことを言い、
また、霊の世界のことが聖書に書いてあるのにそれを理解しようとしないので、
そのことが永遠に分からないのです。
私たちは何を信じるのか。
銀行にお金が振り込まれたら手元にはなくても銀行にはお金があるので下ろせます。
例えば一千万円振り込まれたら、手持ちがなくても、銀行に一千万円持っていると言えます。
私たちは霊の世界を信じています。
Ⅰペテロ2:24「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
現実には癒されてなくても、サタンが治ってないではないか、
これが事実だ、現実だと言おうとも、霊の世界でもう癒されているのだということを信じます。
真理は癒されたと言っているのです。
霊の世界にあることを知る。
イエス様が癒してくださった。
銀行にお金を受け取りに行くように、直ったという真理を信じて、
私は直ったと信じ続ける人は、現実の世界で癒しを体験するのです。
パリサイ人たちは父も知らない、霊の世界も知らないから分かりません。
彼らは、イエス様の行く所に行けない。
旧約の世界で罪があるから幕の中に入れないのです。
彼らの罪の解決はされず、自分の罪の中で死にます。
イエス様は死んで天に行きますが、
彼らは来ることができないということを言っておられるのです。
ユダヤ人たちはわからないので、
ヨハネ8:22「自殺するつもりなのか。」などと言います。
私たちが霊的なことを理解するためには、
イエス様の言っていることをはっきり理解しなければなりません。ーーーーーーー4
「それでイエスは彼らに言われた。「あなたがたが来たのは下からであり、
私が来たのは上からです。あなたがたはこの世の者であり、
私はこの世の者ではありません。」(ヨハネ8:23)
続く
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「 I AM that I AM. 」 5
「それでイエスは彼らに言われた。「あなたがたが来たのは下からであり、
私が来たのは上からです。
あなたがたはこの世の者であり、私はこの世の者ではありません。」(ヨハネ8:23)
現実の世界と霊の世界。
イエス様はこの世の者ではありませんが、彼らはこの世の者です。
私たちもこの世の者ではありません。
これがはっきり分からないと、
私たちはこの世の者の価値観の中でサタンに騙されてしまいます。
私は祝福されているはずなのにこれで祝福されているのだろうか、
いやされたのだろうかということになってしまいます。
私たちは霊の世界を理解するために、現実と霊の世界を正しく認識しなければなりません。
イエス様はこの世のものではない、霊の世界のことを言っているのです。
この世の意識の中で罪の中にいる人は、霊の世界に行ったことがないし分からないのです。
「それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。
もしあなたがたが、*わたしのことを信じなければ、
あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハネ8:24)
あなたがたは自分の罪の中で死ぬとイエス様は言われました。
「わたしのことを信じなければ自分の罪の中で死ぬ。」
私のことを信じなければという箇所の footnote(新改訳)を
見ると[*直訳:わたしがあるということを]とあります。
私たちは「わたしがあるということを」信じるのです。
つまりイエス様が誰かということです。
モーセを思い出してください。
モーセはイスラエルの民のところに行く時に、
誰に遣わされたと言ったらいいでしょうかと言いました。
出エジプト記を見ていきます。
続く
2024年8月26日 京都聖会
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メッセージ:神内源一牧師
「 I AM that I AM. 」 6
私たちが伝道していて世の人と話が合わないのは世の人は現実の世界しか分からないからです。
私たちは現実の世界の話をしているのではなく、霊の世界の話をしている。
死後の世界の話をしているので彼らには分からないのです。
彼らがこの世のことではないことに興味を持たない限り、私たちのことは理解できません。
この分からない人のところに遣わされる時に、
モーセが、誰に遣わされたと言えばいいかということに対して、どういう答えをもらったかです。
「神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」
また仰せられた。「あなたはイスラエル人に
こう告げなければならない。『わたしはあるという方が、
私をあなたがたのところに遣わされた』と。」(出エジプト3:14)
『わたしはある』という者である。< I AM that I AM. >(KJV)
つまり、神様はあったものではなく、将来もあるもの、いつも< I AM >です。
アブラハムの時はアブラハムの神、イサクの時はイサクの神、
ヤコブの時はヤコブの神、いつも< I AM >現在形の神です。
誰に遣わされたのですか。どの神様ですか。< I AM that I AM.> 私はあるという者である。
同じようにこの世の人たちもイエス様に問います。
「そこで、彼らはイエスに言った。「あなたはだれですか。」
イエスは言われた。「それは初めからわたしがあなたがたに話そうとしていることです。」(ヨハネ8:25)
イエス様は言われました。
「それは初めからわたしがあなたがたに話そうとしていることです。」
わたし(イエス様)は神の子であり、父から遣わされた者。
神の子だということを言っておられます。
それを知ろうとしない。
だからイエス様の話を聞いて「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」と言います。
霊の世界が分からない。イエス様は霊の世界ではアブラハムに会っているし、
アブラハムと会話しているのです。
私たちが伝道しても、この世の視点の人にはわからないのです。
目が開かれなければ分からない。
聖霊によらなければ誰もイエス様を主と言えません。(Ⅰコリント12:3)
聖霊によって目が開かれて、見えない神を信じることができるようになるのです。
伝道する時、一生懸命、相手を説得しようとしても無理です。
「父よ。彼らの目を開かせてください」と祈りましょう。
敵が攻めてきた時にエリシャが彼の召使いの目を開かせてくださいと願い、
目の開かれて見たものは、敵より多い天使、火の馬、戦車でした。(Ⅱ列王記6章)
目が開かれないとわかりません。
伝道するときには、説得しようとするのではなく、
目が開くように祈ります。
すると目に見えない神が分かってくる。
これが私たちの伝道の仕方です。
ーーーーーー6
「わたしには、あなたがたについて言うべきこと、
さばくべきことがたくさんあります。しかし、
わたしを遣わした方は真実であって、
わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです。」(ヨハネ8:26)
続く
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