医師より 大腸ガン1…
2025年3月16日 聖日礼拝
恵那クリスチャンセンター
メッセージ:神内源一牧師
「偶像崇拝してはいけない」
私たちのまことの神は偶像を忌み嫌われ、造ってはならないと戒めておられます。
出エジプト20:4~6「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」
士師記から見ていきます。
「その夜、主はギデオンに仰せられた。「あなたの父の雄牛、七歳の第二の雄牛を取り、あなたの父が持っているバアルの祭壇を取りこわし、そのそばのアシェラ像を切り倒せ。」(士師記6:25)
偶像を壊せ、破壊しろといわれ、ギデオンは立ち上がりました。
イスラエルの民は何度も何度も偶像を拝んで神に逆らってきました。
そしてギデオンが偶像を倒したことによってクレームがつけられたことは見てきました。
「こうして、その日、ギデオンはエルバアルと呼ばれた。自分の祭壇が取りこわされたのだから「バアルは自分で争えばよい」という意味である。」(士師記6:32)
「そのとき、イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたのご子息も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人の手から救ったのですから。」(士師記8:22)
勝利したギデオンに民は「あなたも息子さんもお孫さんも(私たちを)支配してください」と王となるように望みますが、「自分は王にならない。神が治める」と栄光を神に返します。
しかし、ギデオンは自分と一族にとって罠となるものを作ってしまいました。誤ったことをします。
「ギデオンはそれで、一つのエポデを作り、彼の町のオフラにそれを置いた。すると、イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行った。それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった。」(士師記8:27)
金でエポデを作り、拝むようになってしまいます。形あるものを作ってはいけないし、拝んではいけないのです。
神の声を聞いて戦い、勝利したギデオンが生きていた40年間は正しく穏やかでありましたが、彼が死んだあと何が起こったのでしょうか。
「ギデオンが死ぬとすぐ、イスラエル人は再びバアルを慕って淫行を行い、バアル・ベリテを自分たちの神とした。
イスラエル人は、周囲のすべての敵から自分たちを救い出した彼らの神、主を心に留めなかった。」(士師記8:33,34)
せっかく勝利をいただいたのにまた元に戻ってしまいます。
私たちも注意しなければいけないところです。
ギデオン(エルバアル)には70人の息子がいましたが女奴隷(召使い)にもアビメレクという子どもができました。そのアビメレクが何をしたか。
9章です。
「さて、エルバアルの子アビメレクは、シェケムにいる自分の母の身内の者たちのところに行き、彼らと母の一族の氏族全員に告げて言った。
「どうかシェケムのすべての者に、よく言って聞かせてください。エルバアルの息子七十人がみなで、あなたがたを治めるのと、ただひとりがあなたがたを治めるのと、あなたがたにとって、どちらがよいか。私があなたがたの骨肉であることを思い起こしてください。」
アビメレクの母の身内の者たちが、彼に代わって、これらのことをシェケムのすべての者に言って聞かせた。
そのとき、彼らの心はアビメレクに傾いた。彼らは「彼は私たちの身内の者だ」と思ったからである。」(士師記9:1~3)
アビメレクの母親の故郷へ行き「70人に仕えるよりも1人でいいではないか、私はあなたの身内ですから」と言います。するとそれに同調してアビメレクを立てようという話になります。
「彼らはバアル・ベリテの宮から銀七十シェケルを取り出して彼に与えた。アビメレクはそれで、ごろつきの、ずうずうしい者たちを雇った。彼らはアビメレクのあとについた。」(士師記9:4)
彼らは偶像崇拝しているバアル・ベリテの神殿から銀70シェケルを取り出してアビメレクに与えました。彼はそのお金で乱暴者を雇います。つまり、偶像崇拝のお金で事を始めていったということです。
それから、アビメレクはオフラにある彼の父の家に行って、自分の兄弟であるエルバアルの息子たち七十人を一つの石の上で殺した。しかし、エルバアルの末子ヨタムは隠れていたので生き残った。(士師記9:5)
アビメレクはギデオンの子供たち70人を1つの岩の上で殺害しますが、ただ1人、末の息子ヨタムは隠れていたので助かりました。
エポデを作っていなければこんなことは起きなかったと思います。
今、あなたがたはクリスチャンで成功しているから祝福されていくでしょう。
私たちは生きている間、間違った歩みをしない限り、ギデオンのように何にも問題のない平穏な人生をおくれます。
しかし私たちが死んだ後、私たちが正しいことを伝えていなければ、ギデオンの子どもに問題が起きたように禍根を残すことにもなりかねません。
「それで、シェケムの者とベテ・ミロの者はみな集まり、出かけて行って、シェケムにある石の柱のそばの樫の木のところで、アビメレクを王とした。」(士師記9:6)
ひとりを除いてみな殺しにしたのでシェケムの民とベテ・ミロの人々はアビメレクを王様にしました。
逃げたヨタムがこの話を聞いて言います。
「このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂上に立ち、声を張り上げ、彼らに叫んで言った。「シェケムの者たち。私に聞け。そうすれば神はあなたがたに聞いてくださろう。」(士師記9:7)
ヨタムは示されたのか、腹立たしかったのかはわかりませんが、自分の兄弟を殺したアビメレクを王にしたことにおいて、たとえ話で抗議します。
「木々が自分たちの王を立てて油をそそごうと出かけた。彼らはオリーブの木に言った。『私たちの王となってください。』
すると、オリーブの木は彼らに言った。『私は神と人とをあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。』」(士師記9:8,9)
木々というのは民です。
オリーブの木とは勝利したギデオンだと思います。
王になってくださいと言われた時、ギデオンは「私は神と人を崇めるために使われる私の油を捨て置いて~」と断りました。
ギデオンは本当に神を見上げていましたので、神に召されているのに人の言葉に乗じて優雅に暮らしていくべきだろうかと言ったのです。ギデオンらしい言葉だと思います。
ギデオンが王にならなかったので今度は違う木、いちじくの木です。これは一体誰でしょうか。
「ついで、木々はいちじくの木に言った。『来て、私たちの王となってください。』」(士師記9:10)
先ほどと違い、(ギデオンには来てとは言っていません)あなたが来て、来たら王になってといいます。
少し軽んじているところがあります。
イチジクの木は何と言ったでしょうか。
「しかし、いちじくの木は彼らに言った。『私は、私の甘みと私の良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。』」(士師記9:11)
いちじくの木はギデオンの息子たちだと思います。ギデオンの後は偶像崇拝するので神は出てきません。
彼らは自分の祝福の視点に立っている。
偶像を拝み、神を見上げていない人たちで自分のことで精一杯なので王にはならないと言ったのです。
次はぶどうの木です。
なぜ3つの木で言うのでしょう。
70人なら70言えばいいと思うのですが。
これは孫だと思います。
「それから、木々はぶどうの木に言った。『来て、私たちの王となってください。』」(士師記9:12)
孫に対してもそう言います。
孫たちは何と言うか。
「しかし、ぶどうの木は彼らに言った。『私は、神と、人とを喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。』」(士師記9:13)
孫は「私は神と人を喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて~」とあります。
神とは書いていますが偶像の神かもしれません。
オリーブ、いちじく、ぶどうとそれぞれ違う木です。イチジクからはイチジクが、ぶどうからはぶどうができる。これは三世代のことを言っていると思います。
ギデオンは何と言っていたか。
士師記8:22「そのとき、イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたのご子息も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人の手から救ったのですから。」
士師記8:23「しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。主があなたがたを治められます。」
主が治められる。
自分の中では聖絶、敵を打てと言われましたが、王様になるとは言われていないのでならないということです。
ギデオンの生きている間は良かったのです。
私たちもその後つまずきになるものを残してはいけません。
エポデを作ったのが間違いです。
「そこで、すべての木がいばらに言った。『来て、私たちの王となってください。』」(士師記9:14)
いばらとはヨタムから言わせればアビメレクのことです。アビメレクにも王になってと言うわけです。
「すると、いばらは木々に言った。『もしあなたがたがまことをもって私に油をそそぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。そうでなければ、いばらから火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くそう。』」(士師記9:15)
誠意を持って油を注いだら私は王になる。私に身を避けよ。そうでないなら私から火が出て、焼き尽くされてしまうということを言い、王になっていきます。
これに対してヨタムは例えて言います。
「今、あなたがたはまことと真心をもって行動して、アビメレクを王にしたのか。あなたがたはエルバアルとその家族とを、ねんごろに取り扱い、彼のてがらに報いたのか。」(士師記9:16)
「誠意を持ってアビメレクを王にしたか。エルバアル(私の父)と家族に対して報いたか。」とヨタムは言います。
「私の父は、あなたがたのために戦い、自分のいのちをかけて、あなたがたをミデヤン人の手から助け出したのだ。」(士師記9:17)
私の父は命がけであなたを助けたのだと山の上から叫んで言います。
「あなたがたは、きょう、私の父の家にそむいて立ち上がり、その息子たち七十人を、一つの石の上で殺し、女奴隷の子アビメレクをあなたがたの身内の者だからというので、シェケムの者たちの王として立てた。」(士師記9:18)
あなた方は背いた。
ギデオンの子どもたち70人を処刑し、その女奴隷から生まれたアビメレクを王にすることをしたということを叫びます。
「もしあなたがたが、きょう、エルバアルと、その家族とにまことと真心をもって行動したのなら、あなたがたはアビメレクを喜び、彼もまた、あなたがたを喜ぶがよい。」(士師記9:19)
自分たちがしていることは正しいことならその通りになればいいし、彼自身も皆さんの誠意を持ってなったならいい。が、違うだろうという話です。
「そうでなかったら、アビメレクから火が出て、シェケムとペテ・ミロの者たちを食い尽くし、シェケムとベテ・ミロの者たちから火が出て、アビメレクを食い尽くそう。」(士師記9:20)
そうでないなら、アビメレクから火が出て、加担したシェケムとペテ・ミロの人たちは焼き尽くされていくと呪いの言葉を言います。
「それから、ヨタムは逃げ去り、ベエルに行き、兄弟アビメレクを避けてそこに住んだ。」(士師記9:21)
ヨタムは王にはならず、逃げてアビメレクを避けて隠れ住むようになりました。
そしてアビメレクは統治します。
「アビメレクは三年間、イスラエルを支配した。」(士師記9:22)
3年間支配はしましたが、ヨタムが言った呪いが起こっていきます。
ギデオンがエポデを作らなければ神の守りの中でそのようなことは起きなかったと思います。そこから色んな問題が起きたということです。
私たちの世代は信仰を持っているからいいですが、残った家族に信仰を継承し、正しいことをしなければいけない。そのことを本当に注意したいと思います。
「神は、アビメレクとシェケムの者たちの間にわざわいの霊を送ったので、シェケムの者たちはアビメレクを裏切った。」(士師記9:23)
アビメレクを担いだ人たちが彼を裏切る。なぜなら神がわざわいの霊を送られたからです。
神が喜ぶ生き方をしていない。
神が祝福したギデオンの子どもを処刑する者に神の祝福はありません。
また偶像に捧げた金でならず者を集めて王となった。
だから問題が起きてくるのです。
「そのためエルバアルの七十人の息子たちへの暴虐が再現し、彼らの血が、彼らを殺した兄弟アビメレクと、アビメレクに加勢して彼の兄弟たちを殺したシェケムの者たちの上に臨んだ。」(士師記9:24)
さばきが起こっていく。
暴虐への報いが現れてくる。殺された人たちの血の報いです。
アビメレクに協力した人たちにもその呪いが降りかかっていきます。
「シェケムの者たちは、山々の頂上に彼を待ち伏せる者たちを置いたので、彼らは道でそばを過ぎるすべての者を略奪した。やがて、このことがアビメレクに告げられた。」(士師記9:25)
アビメレクを待ち伏せする者たちを山々の頂上に置き、道を通る者を略奪するようなことが起き、このことがアビメレクに告げられていきます。
「エベデの子ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムを通りかかったとき、シェケムの者たちは彼を信用した。」(士師記9:26)
そこにガアルという人物が現れます。
ガアルとその身内のものがシェケムを通りかかりました。
シェケムの人たちはアビメレクに対して敵意を持っていますので今度はガアルを信用するのです、
「そこで彼らは畑に出て行って、ぶどうを収穫して、踏んだ。そして祭りをし、自分たちの神の宮に入って行って、飲み食いし、アビメレクをののしった。」(士師記9:27)
神の宮とありますが、まことの神の宮ではなく元々アビメレクが建てた偶像の神殿です。
偶像の祭りで飲み食いした後、アビメレク王を罵ります。
「そのとき、エベデの子ガアルは言った。「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。アビメレクはエルバアルの子、ゼブルはアビメレクの役人ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えなさい。なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。」(士師記9:28)
ゼブルとは(後で出てきますが)このシェケムの指導者。任された人です。
アビメレクの肉身か姻戚関係なのかは分かりませんが、このゼブルはアビメレクの味方です。
そのことをガアルも分かっていたので「アビメレクとは何者だ、彼を助けるシェケムの人たちは何者だ、なぜ彼に仕えなければいけない。ハモルの人々に仕えるべきで、アビメレクに仕える必要はない」と導くのです。
「だれか、この民を私の手に与えてくれないものか。そうすれば私はアビメレクを追い出すのだが。」そして彼はアビメレクに言った。「おまえの軍勢をふやして、出て来い。」(士師記9:29)
アビメルクは王なので従うものもいるので、ガアルは「もっと人数増やして向かって来い」と挑発するようなことを言いました。
彼には兵がないので誰か私に兵をくれないかと言うと、神が送った混乱する霊によって、軍隊ができ、町の人が協力するということで敵意を持っていきます。
「この町のつかさゼブルは、エベデの子ガアルの言ったことを聞いて、怒りを燃やし、」(士師記9:30)
ゼブルはアビメレクの味方であり、この町の長です。ガアルがアビメレクを見下してけなしているという情報をアビメレクに伝えます。
「トルマにいるアビメレクのところに使者を送って言わせた。「今、エベデの子ガアルとその身内の者たちがシェケムに来ています。今、彼らは町を、あなたにそむかせようとしています。」(士師記9:31)
使いをやって知らせに行き、そして色々な作戦を与えます。
混乱の霊が来ると、色々新しいものが出たり、今まで味方だった者が敵になったりします。
偶像崇拝する時に色んな問題が起きます。
私たちはそのことに注意していきましょう。
「今、あなたとあなたとともにいる民は、夜のうちに立って、野で待ち伏せなさい。」(士師記9:32)
今から戦いに行こうとしているから待ち伏せするよう進言します。
「朝早く、太陽が昇るころ、町に突入しなさい。すると、ガアルと、彼とともにいる民は、あなたに向かって出て来るでしょう。あなたは好機をつかんで、彼らを攻撃することができます。」(士師記9:33)
朝早く出てくるところを攻撃すれば簡単に勝利できるでしょうという作戦を伝えます。
「そこでアビメレクと、彼とともにいた民はみな、夜のうちに立って、四隊に分かれてシェケムに向かって待ち伏せた。」(士師記9:34)
四隊に分かれて待ち伏せをします。
「エベデの子ガアルが出て来て、町の門の入口に立ったとき、アビメレクと、彼とともにいた民は、待ち伏せしていた所から立ち上がった。」(士師記9:35)
アビメレク軍は待ち伏せした所から出てきます。
ガアルは侵攻して戦うぞという気持ちで行くのですが待ち伏せを知りませんでした。
「ガアルはその民を見て、ゼブルに言った。「あれ、山々の頂から民が降りて来る。」すると、ゼブルは彼に言った。「あなたは、山々の影が人のように見えるのです。」(士師記9:36)
ゼブルは作戦を知っているので、山の影が人に見えるのだとごまかしますが、ゼブルには山から降りて来る兵が見えています。
その後、四方向から兵が来ます。
「ガアルはまた言った。「いや。人々がこの地の一番高い所から降りて来る。また一隊がメオヌニムの樫の木のほうから来る。」(士師記9:37)
ガアルは、「この地の1番高いところからも来ているし、また一隊がメオヌニムの樫の木の方から来る」と言って驚きます。
「すると、ゼブルは彼に言った。「『アビメレクとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは』と言ったあなたの口は、いったいどこにあるのですか。あなたが見くびったのは、この民ではありませんか。さあ、今、出て行って、彼と戦いなさい。」(士師記9:38)
元々アビメレクの味方であったゼブルは「あなたは「アビメレクとは何者か」と大口叩いていたのですから行って戦いなさい」と煽ります。
「そこで、ガアルはシェケムの者たちの先頭に立って出て行き、アビメレクと戦った。」(士師記9:39)
戦うと言った以上戦いに行きます。
「アビメレクが彼を追ったので、ガアルは彼の前から逃げた。そして多くの者が刺し殺されて倒れ、門の入口にまで及んだ。」(士師記9:40)
アビメレクは兄弟を殺して王になったので、ガアルが出てきたら勝つだろうかと思うところですが、ガアルはどさくさに紛れて王になろうかという魂胆があり、うまい汁を吸えるかもしれないという思いなので、正しい人ではなく、神の遣いではないのでアビメルクに返り討ちにされます。
「アビメレクはアルマにとどまったが、ゼブルは、ガアルとその身内の者たちを追い払って、彼らをシェケムに住ませなかった。」(士師記9:41)
ゼブルはガアルが町に戻ってこられないように追い払い、彼らは野に逃れます。
「翌日、民は、野に出かけて行って、アビメレクに告げた。」(士師記9:42)
その情報がアビメレクの方に伝わります。
「そこで、アビメレクは自分の民を引き連れて、それを三隊に分け、野で待ち伏せた。すると、民が町から出て来るのが見えたので、彼らを襲って打った。」(士師記9:43)
アビメレクは今度は三隊に分けて野で待ち伏せし、民が出てきた時に立ち上がって打つのです。
「アビメレクと、彼とともにいた一隊は突入して、町の門の入口に立った。一方、他の二隊は野にいたすべての者を襲って、打ち殺した。」(士師記9:44)
一隊は町に、残りの二隊は野にいるものを襲うという戦いになっていきます。
「アビメレクはその日、一日中、町で戦い、この町を攻め取り、そのうちにいた民を殺し、町を破壊して、そこに塩をまいた。」(士師記9:45)
結局町を占領し民を殺してそこに清めの塩を撒きます。
神に祝福されていないものが清めの塩を撒いたところで意味はありませんがきよめたということです。
「シェケムのやぐらの者たちはみな、これを聞いて、エル・ベリテの宮の地下室に入って行った。」(士師記9:46)
シェケムの残っていた人たちは彼らの信じている神の神殿の下に立てこもります。
「シェケムのやぐらの者たちがみな集まったことがアビメレクに告げられたとき、」(士師記9:47)
神殿の地下に立てこもったことを聞いたアビメレクに作戦が湧きます。
神に立てられた義軍ではない、ただ混乱に紛れてアビメルクの支配から逃れようという思いつきで戦おうとする人たちの結末です。
「アビメレクは、自分とともにいた民とツァルモン山に登って行った。アビメレクは手に斧を取って、木の枝を切り、これを持ち上げて、自分の肩に載せ、共にいる民に言った。「私がするのを見たとおりに、あなたがたも急いでそのとおりにしなさい。」(士師記9:48)
アビメレクは手に斧を持って木の枝を切りそれを担いで、「皆も私と同じようにしろ」と言います。
「それで民もまた、みなめいめい枝を切って、アビメレクについて行き、それを地下室の上に置き、火をつけて、地下室を焼いた。それでシェケムのやぐらの人たち、男女約一千人もみな死んだ。」(士師記9:49)
立てこもっている地下室の上に木を置いて火を燃やし焼き殺しました。約1000人が皆死ぬという作戦をとりました。
アビメレクが勝ちますが、勝ったままでは終わりません。この呪いは必ず起きるのです。
「それから、アビメレクはテベツに行き、テベツに対して陣を敷き、これを攻め取った。」(士師記9:50)
他のとこへ行って、攻め落としました。
「この町の中に、一つ、堅固なやぐらがあった。すべての男、女、この町の者たちはみなそこへ逃げて、立てこもり、やぐらの屋根に上った。」(士師記9:51)
堅固な建物があるテベツに逃げたものがあって、アビメレクは追っていきます。
「そこでアビメレクはやぐらのところまで行って、これと戦い、やぐらの戸に近づいて、それを火で焼こうとした。」(士師記9:52)
火攻めに味をしめ、今度も焼こうとしましたが、ここでアビメレクはあっけなく死ぬのです。
「そのとき、ひとりの女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。」(士師記9:53)
上から女の人がひき臼の上石を投げつけました。石がアビメレクの頭に当たり頭蓋骨を砕いてしまったのです。アビメレクは女の人に殺されたのでは不名誉なので、あることを使いのものに言います。
「アビメレクは急いで道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私を殺してくれ。女が殺したのだと私のことを人が言わないように。」それで、若者が彼を刺し通したので、彼は死んだ。」(士師記9:54)
女の人に殺されたと不名誉な噂を立てられたくないので道具持ちの若者に自分を殺させました。
「イスラエル人はアビメレクが死んだのを見たとき、ひとりひとり自分のところへ帰った。」(士師記9:55)
アビメレクの軍隊は解体していきます。
「こうして神は、アビメレクが彼の兄弟七十人を殺して、その父に行った悪を、彼に報いられた。」(士師記9:56)
報いは起きました。それは正しくなかったからです。
彼の治世はわずか3年で、しかも女性が投げた石によって頭蓋骨が砕かれていくという呪いの人生でした。
「神はシェケムの人々のすべての悪を彼らの頭上に報いられた。こうしてエルバアルの子ヨタムののろいが彼らに実現した。」(士師記9:57)
ギデオンの子のヨタムが呪って言ったことがその通りになりました。
元々正しくないからその報いは必ず起きていきます。
この後また士師が起こっていきます。
「さて、アビメレクの後、イスラエルを救うために、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラが立ち上がった。彼はエフライムの山地にあるシャミルに住んだ。」(士師記10:1)
神に立てられたトラが23年間、立ち上がっていきます。
その後です。
「彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間、イスラエルをさばいた。」(士師記10:3)
(詳細は聖書を読んで参照してください。)
「またイスラエル人は、主の目の前に重ねて悪を行い、バアルや、アシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。
主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアモン人の手に売り渡された。
それで彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、苦しめた。彼らはヨルダン川の向こう側のギルアデにあるエモリ人の地にいたイスラエル人をみな、十八年の間、苦しめた。」(士師記10:6~8)
偶像崇拝をあちらこちらで行ったのでまた元に戻っていくということが起きます。
ペリシテ人とかアモン人によって18年間、苦しめられていくことが起こりました。
「アモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったとき、イスラエルは非常な苦境に立った。」(士師記10:9)
アモン人の攻撃が特に強かったのです。
「そのとき、イスラエル人は主に叫んで言った。「私たちは、あなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルに仕えたのです。」(士師記10:10)
ここでやっと、偶像崇拝して罪を犯したと気づきます。
「すると、主はイスラエル人に仰せられた。「わたしは、かつてエジプト人、エモリ人、アモン人、ペリシテ人から、あなたがたを救ったではないか。
シドン人、アマレク人、マオン人が、あなたがたをしいたげたが、あなたがたがわたしに叫んだとき、わたしはあなたがたを彼らの手から救った。
しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。
行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい。」(士師記10:11~14)
神様は、「もう何度救ったことか。もう助けない。あなた方の拝んだ神がいるだろう。その偶像に助けてもらえばいいのではないか」と言いますが、また、彼らを憐れんで助けます。
「すると、イスラエル人は主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」
彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。」(士師記10:15,16)
「あなたのご自由にしてください。でも今回だけは、」と助けを求めます。
悔い改め、やっと偶像を取り除いて主に仕えたので、神様は人々の窮状を見るに忍びなくて助けてあげるということが起きました。
そんな中でまだ敵がいます。
その後また別の神の器が起こされていきます。
「ギルアデの民や、その首長たちは互いに言った。「アモン人と戦いを始めるものはだれか。その者がギルアデのすべての住民のかしらとなるのだ。」(士師記10:18)
ギルアデの支配者となる人を求めて、起こされていきます。それはまた今度お話しします。
ここで見たいのはこのように偶像崇拝で色んな問題が起きているということです。
偶像を拝んでも助からない。偶像を拝しても3年しか支配できない。偶像とはどういうものなのかということをよく知っていきましょう。
天地万物、宇宙を作った方が神なのです。
そうでないものを作ってはいけない。拝んではいけないと書いてあります。
「偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。
だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を得たのだろうか。
見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。」(イザヤ44:9~11)
偶像というのは虚しいものであり、役に立たないものであり、それを拝むものは恥を見る。
ではその偶像とはどのように作りますか。
「鉄で細工する者はなたを使い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。彼も腹がすくと力がなくなり、水を飲まないと疲れてしまう。
木で細工する者は、測りなわで測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の美しい姿に仕上げて、神殿に安置する。」(イザヤ44:12,13)
木であろうが鉄であろうがそれらを一生懸命作ったのは人間。人間が作ったものに過ぎないではないかということです。
「彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。また、月桂樹を植えると、大雨が育てる。」(イザヤ44:14)
植えて、手間暇かけて育て上げてきたものを切って作るものと言われます。
「それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。
その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった』と言う。
その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから』と言う。」(イザヤ44:15.,16,17)
同じ材質で暖を取り、料理を作り、その残りで作ったものが神であって、それに救ってくれと言うのかといいます。
「彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟ることもできない。
彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか』とさえ言わない。」(イザヤ44:18,19)
このように偶像とは人間が作ったものです。
喋らない。歩かない。祈りに答えない。
このような偶像崇拝に私たちは注意していきたいと思います。
私たちは初詣もしない。占いもしない。
神の計画はわざわいではない平安であり将来と希望を溢れるものにする。
今一時的に困窮することがあったとしても、私たちの神は答えてくださる。
今そうなっていなければ偶像を作っていないか注意しなければいけません。
あるものは処理してもらい、呪いから解かれた生活に入っていただいて、アブラハムの祝福を受けるおひとりおひとりになっていただきたいと思います。
では最後にガラテア3:13、14を読んで終わっていきます。
私たちは祝福を受けるものであることを感謝します。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ3:13,14)
イエス様が天に上られて私たちは祝福を受けています。
その祝福を受けている皆さんはギデオンのように祝福されますが、子孫につまずきとなるものを残さないように注意していきたいと思います。
栄光を主にお返しいたします。イエス様の名前でアーメン