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2025年1月5日 聖日礼拝

恵那クリスチャンセンター

メッセージ:神内源一牧師

 「新約から見るエステル記」

今日は新約の視点からエステル記を見ていきたいと思っています。

アハシュエロス王はネブカデネザルによるバビロン捕囚で移住の後、ダリヨス王の後だと思います。

1節にアハシュエロス王はホド(インド)からクシュ(エチオピア)まで治めていたと書いてありますから、非常に広範の国を支配していました。

その国には127州あったということです。

この王様は恵まれていて、国も安定しており、治世3年目にシュシャンの城で宴会を催し、諸州の貴族、ペルシャとメディヤの有力者などが出席し、180日間にわたって行われました。その後続く7日間に身分の低い者も参加できる宴会も用意されました。

王の勢力を示すかのごとく素晴らしい調度品の数々が置かれ、一つ一つ施しの違う金杯で酒がふるまわれました。

王妃ワシュティも並行して夫人たちのための宴会を催していました

7日目になった時に王様は心が陽気になり、美しいワシュティに王冠をつけてお披露目したいと思い、王妃を呼び出しますが、彼女は拒みます。

王は、王を軽んじ、また家々でも夫に従わないような風潮になっては良くないと憤り、王妃を処罰することになり、王の前にはワシュティは出てくるなという法律を決め、代わりの王妃を探すことになりました。

王妃の処罰が終わり、王の心が落ち着いた時、仕える者たちが、エステル記2章2節にあるように容姿の美しい未婚の娘たちを探しましょうと提案し、その中から一人選び、王妃を決めることになりました。

モルデガイというユダヤ人がいて、彼は叔父の娘ハダサ(後にエステル)をその両親の死後、引き取って娘として養育していました。

彼女はモルデガイに自分がユダヤ人だということを一切言ってはいけないと言われていました。なぜなら時間は経っていましたが捕囚されてきたものでしたので、隠すように言われていました。

彼女は王の妃候補になれるような生活はしていたと思います。

彼女は選ばれ、監督官の心にかなったので好意を得て、彼はエステルに必要なものを用意し、7人の侍女も与えられ、選ばれている婦人たちの中で最も良い部屋を与えられるという厚遇を受けていきました。

そういうことが起こったのは、ユダヤ人にアブラハム・ブレッシングがあるからです。

その後6ヶ月間の没薬の油の期間と6ヶ月間化粧して整える準備の期間を過ごし、1年後、王の前に行くものとなりました。

エステル記2章15節 普通は候補になるとあれこれ要求するのですが、エステルは求めることをしなかったので、すべての人の好意を受けていました。

そして治世第7年の第10月に王妃として選ばれていき、彼女のための宴会が2回ほど持たれました。もちろん彼女はユダヤ人であることを伝えてはいけないという言い付けに従っていました。

私たちも言い付けに従っていきます。

聖霊の声は内なる声です。

今ここで言うべきでないということは言わないという訓練を受けて、正しく従っていく生き方をする時に、道が開かれていくことがあると思います。

そして、エステルが王妃になった時にある事件が起きました。

エステル記2章21節 モルデガイがアハシュエロス王の暗殺情報を聞きつけ、その情報を、エステルを通して王に伝えたのです。

暗殺を企てた者が調べられ明らかになり彼らは処罰されました。

23節「このことは王の前の年代記の書に記録された。」

エステル記3章で、ハマンという人が取り立てられ王の次の地位まで昇進をしました。

王の命によってハマンに対して膝をかがめてひれ伏すという取り決めがありましたが、モルデガイは膝をかがめずひれ伏すこともしませんでした。

ハマンはモルデガイだけに憤るならいいのですが、ユダヤ人を根絶やしにしようと、とんでもないことを計画します。(6節)

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺がありますが、ハマンはモルデガイが憎けりゃユダヤ人を皆殺しにしてしまえという考えを持つ人でした。

エステル記3章7節 王の第12年第一の月に、ユダヤ人を滅ぼす日時を決めるため、

プル(くじ)が投げられ12月と決まりました。

実行までに1年の猶予ができ、ハマンは王にあることを提案しました。

「ところが、ハマンはモルデガイひとりに手を下すことだけで満足しなかった。彼らがモルデガイの民族のことを、ハマンに知らせていたからである。それでハマンは、アハシュエロスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデガイの民族を、根絶やしにしようとした。

アハシュエロス王の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、日と月とを決めるためにハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられ、くじは第十二の月、すなわちアダルの月に当たった。

ハマンはアハシュエロス王に言った。「あなたの王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がいます。彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて、彼らは王の法令を守っていません。それで、彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。」エステル3:6~8)

エステル記3章9節 その民族を滅ぼす者を募り、その仕事をする者たちに銀1万タラントを渡すということも計画します。王はハマンに指輪を渡して「その民族もあなたの好きなようにしなさい。」と言いました。

12節 第1の月の13日に決められたことをしるした書簡に印が押され、

13節 第12の月の13日にユダヤ人を根絶やしにし、ユダヤ人の財産を没収せよと急使が国中に送られました。

インドからエチオピアまで時間もかかりますが、実行されるのは1年後です。

モルデガイはこのことを聞いて荒布をまとって王の門のところまで来ました。

法令が届いたところでは多くのユダヤ人が断食と嘆きと灰の上に座ったということが書かれています。

エステルはモルデガイが荒布をまとっているのを聞いてモルデガイに良い着物を持って行ったのですが拒絶されます。

エステル記4章7節 モルデカイがエステルから遣わされた使いの者に自分の身に起こったことを言います。

ハマンがユダヤ人を滅ぼそうと計画していること。

またハマンが王に約束した正確な金額も告げます。

法令の文書の写しを渡し、王にあわれみをかけてもらえるようにエステルに頼みます。

しかし、エステルには不安がありました。それはある取り決めがあったからです。

「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭に入り、王のところに行く者は死刑に処されるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」(エステル4:11)

いきなり王様のところに行って、王の好意をもらえなければ処刑されてしまうので恐ろしくて行けないとエステルは言います。

モルデガイはエステルにあなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。」と言いました。

私たちは今この時代に生きています。私たちはなぜこの時代に、ここに生きているのかに注意しなければいけません。

「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」エステル4:14)

エステルがここに来たのはこのため、ユダヤ人が滅ぼされないためです。

神様はアブラハムとまた後の子孫と契約を結びました。

神様の計画があり、ここでユダヤ人が全滅して消滅してしまったらイエス様が来られません。ですからそれを救うための働きがこのエステルの使命だったのです

皆さんは自分自身の使命がまだ分からないかもしれません。

なぜ東京に住んでいるのか。なぜ姫路に住んでいるのか。なぜここに住んでいるのか。

このように考えたことはないでしょうか。

神の計画があるのです。

エステルが神の民のために立たないなら他の者が立てられる。

あなたは、今あなたの地域において伝道する者として計画されていることは決まっていると思いますが、あなたが黙っていたならば、あなたの代わりの人が起こっていくということです。

私たちは神からの使命をもらっています。

自分の使命が何かはっきりと知って、それに向かって準備していかなければいけません。

エステル記4章16節 エステルは覚悟を決めて3日間断食します。

そして「私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。」と伝えます。

そして彼女は「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と決意します。

私たちもクリスチャンになった時に決意しました。

分からないで信じた人は ガラテヤ2:20、私たちは死んだということを覚えてください。

自分では何もできない。イエス様を頼って生きよう。

自分でなんとかして、幸せになれそうだ、癒せそうだ、解決できそうだという人生でなく、神に頼っていく人生を選択すると、良いことがあらかじめ定まっています。

モルデガイは王の暗殺を阻止する情報を与えました。それが後で活かされていきます。

今、待遇の悪い会社に勤めているかもしれない。環境の悪い地域にいるかもしれない。

しかし、神の計画はわざわいではない、平安であり将来と希望溢れる人生を与えることなので、あなたが自分のすべきことをしているなら、必ずこのユダヤ人たちのように守られるのです。

この当時はユダヤ人ですが、今の時代は私たち、クリスチャンが守られることを覚えていただきたいと思います。

仮に今から多くのユダヤ人が殺されるとします。

そういう時代が来るかはわかりませんが、私たちはクリスチャンとして守られる。この意識をもって信仰生活をしていきたいと思います。

エステルは断食した後、王のところに行きます。

王に呼ばれてはいないので殺されるかもしれない状況です。

そこで王の好意を得て金の笏を伸ばされたのでその先に触り、許されて王様のところへ行きました。

エステル記5章4節 エステルは宴会をハマンと王様だけに設けたいと申し出ました。

宴会の後、王様が何か求めるものがあるのかと尋ね、望むなら王国の半分でも与えようというくらいエステルは王様に愛されていたのです。

5章8節 エステルは、もう一度宴会を設けますのでハマンとお越しくださいと願いました

ハマンは上機嫌で帰っていきますが、門のところにいるモルデガイが礼をしないので憤りながら家に帰りました。

5章11節、12節 ハマンは、友人や妻に、まず自分がどんなに輝かしいところにあるか、昇進したかと自慢話をします。

また王妃エステルに自分だけ呼ばれて王様と宴会に行くということで上機嫌になっていました。

しかし、モルデガイのことを思い出すと腹立たしいと言いました。

すると妻ゼルシュと友人からある提案がなされました。

「すると、彼の妻ゼレシュとすべての友人たちは、彼に言った。「高さ50キュビトの柱を立てさせ、あしたの朝、王に話して、モルデガイをそれにかけ、それから、王と一緒に喜んでその宴会においでなさい。」 この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた。」(エステル5:14)

2m20㎝ぐらいの柱を立てて、朝、王様に進言し許可をもらったら、それにモルデガイをかけようとします。

その時、神様は王にモルデガイがしたことを、王様に思い出させるのです。

王様が眠れなかったので年代記を王の前で読ませていると、モルデガイによって助かったあの報告が書かれていて思い出しますその時モルデガイに何も与えていなかったので褒美を与えようと思いました。

ハマンが王に言ってモルデガイを殺そうしたその前夜に神が働かれたのです。

伝道者の書3章11節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

神様はちゃんと助けてくれます。

皆さんも色んなトラブルがサタンから来るかもしれませんが、必ず守りがある。

あなたに策略や罠を仕掛ける人がいたとしても、このユダヤ人、モルデガイが守られたように、神の計画、アブラハム・ブレッシングを受けているユダヤ人、そしてそれを引き継いでいる私たちは必ず守られる。災害はやってこない。

このように信じる人生を歩んでいきたいと思います。

王がモルデガイに褒美を与えたいと思っているところに、ハマンが庭に来たので相談します。

そうしたらハマンは王様からこういう褒美を受けるのは自分以外にはないと自惚れて、自分がしてほしいことを言います。

エステル記6章7節8節「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、

王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。

9節「その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれさせてください。」

王様はハマンに、「モルデガイにそのようにしなさい」と言ったので、ハマンは腹が立ったでしょうが、そのようにしてから嘆いて帰ってきました。

妻と友だちはモルデカイがユダヤ人であるなら、彼にはもう勝てないと言いました。

そういった気分が優れない状態の中でエステルが招いた2回目の宴会の催促が来て出かけました。

「王妃エステルは答えて言った。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。

私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」 

アハシュエロス王は王妃エステルに尋ねて言った。「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」(エステル7:3~5)

王が願いごとを訊ねると、エステルは「私にいのちを与えてください。私の望みを聞き入れてください。私の民にもいのちを与えてください。私の民族は売られて根絶やしにされ殺害され滅ぼされることになっていますので助けてください」と願います。

王様はそれを企んでいるのは誰だと問い、エステルは言いました。

6節「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」

ハマンは震え上がり、王様は憤って席を立ちました。

ハマンは王の決心がわかったので、エステルに命ごいをしようと王妃が座っている長椅子の上にひれ伏しているところに王様が戻ってきます。

そこで長椅子に膝まずいていたハマンを見て、王妃に乱暴しようとしていると思い、さらに怒りを買ってしまいます。

そこに、一人の宦官がやってきて、王に良い知らせを告げたモルデガイのために、ハマンが用意した高さ50キュビトの柱がハマンの家に立っていますと言ったのです。

王様はそれにハマンをかけろと命じ、ハマンはモルデガイを殺すための柱にはり付けになりました。

それで王様の憤りはおさまったとのことです。

その後、伝令は各国、国中に伝っていますので取り消されなければなりませんので、エステルが再度王のところに赴き書簡を取り消してくださるように文書を出しくださいと願います。

エステル記8章9節 第3の月の23日に訂正の詔書が発布されたとあります。

この間すでにユダヤ人を虐めている者もいたでしょう。

「モルデガイはアハシュエロス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その手紙を、速く走る御用馬の早馬に乗る急使に託して送った。

その中で王は、どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した。(エステル8:10,11)

今度はハマンが決めた日にそういうことをした者があれば、逆に軍であろうが、その家族であろうが、みな根絶やしにする許可が得られました。

このことはハマンがくじで決めた12月の13日(イスラエルの暦)の1日になされるように決められ、ユダヤ人は助かりました。

モルデガイが青と白の王服を着て出て行くと歓声が起こりました。

エステル記8章16節ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。

私たちもクリスチャンとして、色々な苦難があったとしてもそこから解放されることがあります。

今個人の問題として光がないという状態であったとしても、光の時が来て、喜びの時が来て、楽しみの時が来て、栄誉の時が来る。

そのようなことを私たちは味わうことができるのです。

エステル記8章17節 王の命令と法令が届いたどの州、どの町でもユダヤ人は喜び楽しみ、祝宴を張り、祝日にしたとあります。

誰もユダヤ人に反抗しないようになりました。

シュシャンの城では500人ほどが処刑され、ハマンの子ども10人も処刑されたと書いてあります。

エステル記9章16節 合計で7万5千人が処刑されましたが、彼らの財産には手をつけなかったということです。

これが記念日となりました。

今ユダヤにプルから来たプリムという祭りがあります。エステル記の出来事は史実にあったことなのでユダヤの祭りの一つになっています。

エステル記9章21節 アダルの月の14日と15日を祝日にするとあります。

その祝宴と喜びの日、互いにご馳走を送り合う日、また貧しい人に物を送る日となっています。

9章26節 「こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。

モルデガイはインドからエジプトまでの間の国の中で2番目の権威を持つものとなっていったということが書かれています。

モルデガイ自身はユダヤ人だと言っていましたが、エステルにはユダヤ人だと言わないように言っていました。

今までユダヤ人であることを言わないようにしていたユダヤ人は、勝利したことによって胸を張って自分はユダヤ人だと言えるようになったのです。

「王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである。」エステル8:17)

クリスチャンであることを公にしていない人はいますか。

家族の中でクリスチャンだと言っていない。

近所の方にクリスチャンと言っていない。

会社の中でクリスチャンと言っていない人がいるでしょうか。

このような勝利を約束されたものとして、私たちは胸を張ってクリスチャンであると言えるものになっていただきたいと思っています。

新約の視点から、磔になったハマンのことを見るとどのようなものであるか、私が思うところから話します。

モルデガイが磔になるところ、逆にハマンが磔になりました。

ハマンは高慢で悪い人間で、ある民族を滅ぼそうとする人間だから当然だと思うのですがこの磔は何でしょうか。

私たちの時代でいうと十字架です。

十字架は一体何であるのか。

ハマンが磔になったことを私たちに重ね合わせると、アダムとイヴが善悪を知る木の実を食べたので、私たちはハマンのように高慢で神に従わない者になりました。

そして祝福された者つまりイエス様を十字架にかけてしまおうとするものでした。

磔ということにおいて罪を民数記で見てみます。 

出エジプトで、神に従わない民だったので燃える蛇、噛まれると死ぬ猛毒を持っている蛇が送られました。

それを助けるために蛇を掲げます。

「すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」 

モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。(民数記21:8,9)

蛇ではなくて他のものを拝んで助かるならわかりますが、なぜ蛇なのか。

つまり蛇とは罪。もっと言うならサタンです。

サタンである蛇を作り、それを旗竿の上につけ見上げるなら助かる。それが示す意味はイエス様の十字架です。

ネフシュタンという青銅の蛇 ー 新約でこれがイエス様の十字架と同じことだと書いてあります。

「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」(ヨハネ3:14)

あの蛇のようにイエス様が十字架に上がるということです。

イエス様は聖いものとして十字架に架かったのではなく、私たちの罪として、私たちが正しくできない罪ために十字架に架かったのです。

だからハマンの磔はイエス様の十字架なのです。

私たちはイエス様の身代わりによって助かる。

ではこのモルデガイは何でしょうか。

ー 神の祝福を受けた私たちです。

本当に神を信じるもの、また神の子になっている、イエス様のような人になっている私たちには、このような助けがある。

これらのことを新約の目で見ると、私たちに当てはまるのです。

だから私たちはどんなトラブルがあっても必ず脱出の道があると同時に解決されることを信じていきたいと思います。

ここでもう一つ、クリスチャンになってクリスチャンに敵対するものがいたら罰していいのかということです。

この出来事のとき、7万5千人が処刑されました。

私たちも自分を苦しめた人たちを罰するのでしょうか。

私たちの罪はイエス様の身代わりによって処罰されたので、私たちはそういうことはしません。

これは旧約だからです。旧約はそのようにすることを教えています。

神様は新約の中身を私に教えようとしていますが、旧約ではイエス様がいないので、そうでなければ処罰されることになる者ですよと教えているのです

では私たちは敵に対して、あなたを攻撃するハマンのような人たちに対してどうするのでしょうか。

神様にハマンを、この悪い人を何とかしてくださいと祈るのでしょうか。

そうではなく、私たちは赦されている者です。

ハマンは磔になったのですが、イエス様によって私たちの罪は磔になったのですから、私たちを攻撃するハマンのような人たちを恨むのではない。

彼らは敵ではありません。

新約の敵は彼らを操っているサタンです。

その視点をもって旧約を読みます。7万5千人が処刑されたのだから相手を処罰していい、邪魔していい、迷惑をかけてもいいというような態度をとってよいとは神様は言われません。

さばきは神に任せます。

旧約にあるように権威ある人たちに仕返しをするというような視点は持ちません。

私たちも赦されている。

私たちがイエス・キリストを信じる前に、また信じた後に犯す罪➖マンの磔です。

その部分をイエス様が身代わって払ってくださった。

そうして私たちは赦されたので、全ての人に対して赦します、愛します、祝福します。

サタンを憎みます。

旧約は、新約の視点で読みます。

 旧約の人たちにはイエス様が復活後、福音を宣べ伝えられました。

そのようにイエス様でしか救いがない。 

私たちが救われたように他の人たちもイエス様を信じたら救われる

この恵みを信じて進んでいきたいと思います。

お祈りします。

天のお父様、感謝します。

私たちは新しい年を迎えました。

私たちは選ばれたものであり、祝福されたものであり、本当に良いわざが用意されていますから感謝します。

日本の国において、またそれぞれの地域の中で福音を知っているもの、守られるものとして輝く時、私はクリスチャンですと胸を張って言うことができ、守られる姿を見て私たちのようになりたいというような祝福を人々に与えてください。

そして日本のリバイバルが間近なところから起っていきますようにあなたがしてくださったと信じます。

今日なされました全ての栄光をあなたの元にお返ししますのでお一人お一人を使ってください。

私たちは自分が黙っていたら他の人が用いられていきます。

私たちは多くの方々に語れるように選ばれたものであるがゆえに、伝道の準備と伝道が進んでいきますように、道を開いてくださり、またそれぞれの良き報告、よい助けができることは予め決まっています。

モルデガイが王の暗殺計画を知らせたことで、後に益を受けたように、私たちは神の計画を知り、その声に従って正しい選択の中で主の助けの中にある祝福された人生を送るようにしてくださっていることを感謝します。

そして何よりも私たちは地上生活が終わり天に行けることが決まっていることを感謝します。

主イエス・キリストの御恵み、神の愛、聖霊の親しき交わりが、お一人お一人の上に豊かにあるように祝福します。

イエス様の名前でアーメン

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