Skip to content

2025年 1月12日 聖日礼拝

恵那クリスチャンセンター

メッセージ:神内源一牧師


「新約から見るサムソン」  1

士師記13章から見ていきます。

出エジプトをモーセが導き、ヨシュアがカナンの地へ導き入れ、その後です。

イスラエル、カナンの地を全て聖絶しろということを言われていたのに残しておいたので問題が起こっていました。また正しい生き方もしていなかったので、ダン族のペリシテ人がユダヤを支配しているという時代がありました。

サウル、ダビデの前のヨシュアからサウルが立てられるまでの間の時代の話です。

士師記13:1「イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行ったので、主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。」

イスラエルは主の前に悪を行い、40年間ペリシテに支配されていたと書かれています。

ダン族にマノアという人がいて、妻との間には子どもがいませんでした。

士師記13:3 マノアの妻に天使が現れ、男の子を産むと告げます。

ただあることに注意するように言われます。

「今、気をつけなさい。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。

見よ。あなたはみごもっていて、男の子を産もうとしている。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから神へのナジル人であるからだ。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」(士師記13:4,5)

ペリシテ人から救うために神が立てた子どもが生まれてくるということです。

・その子は、ナジル人として育てなければいけない。

・頭に髪剃をあててはいけない。ー 長髪です。

イエス様も絵を見るかぎり長髪です。イエス様もナジルのような形でいたと思います。

バプテスマのヨハネは間違いなくナジルでいたと思います。

・ぶどう酒や強い酒を飲んではいけない。

・汚れた物、旧約聖書ではウナギやタコなどのようなもの、豚もいけないのですが、そういった物を食べてはいけないということです。——/////////———1


そしてマノアの妻は、夫に神の使いに告げられたことを話しました。

マノアは妻の話を聞き、自分は聞いているわけではないので、

8節 もう一度その人を送ってくださいと祈りました。

その祈りが叶えられて、9節、再び妻のところに現れたので夫を呼んで来ます。

マノアは天使に言います。

「マノアは立ち上がって妻のあとについて行き、その方のところに行って尋ねた。この女にお話になった方はあなたなのですか。その方は言った。わたしだ。」(士師記13:11)

妻から聞いていた天使だと確認をし、どうしたらいいでしょうかとたずねます。

天使は全てに気をつけなければいけないと言います。

「ぶどうの木からできる物はいっさい食べてはならない。ぶどう酒や、強い酒も飲んではならない。汚れた物はいっさい食べてはならない。わたしが彼女に命令したことはみな、守らなければならない。」(士師記13:14)

先に言ったことに加え、ここではぶどうの木からなる物、ぶどうも食べてはいけないということを言われます。

マノアは主の使いをもてなしたいと思い、子ヤギを料理したいと言うのですが、

士師記13:16 自分は天使なので、それは神に捧げるものでしょうと言われます。

「すると、主の使いはマノアに言った。たとい、あなたがわたしを引き止めても、わたしはあなたの食物は食べない。もし全焼のいけにえをささげたいなら、それは主にささげなさい。マノアはその方が主の使いであることを知らなかったのである。」(士師記13:16)

マノアはその方が主の使いであることを知らず、神様と思ったので捧げたいと申し出ましたが、私ではなく、神様に捧げなさいと言われました。

マノアは、告げられた通りに実現したとき、あなたを褒めたたえたいということで、名前をたずねます。

士師記13:18「わたしの名は不思議という。」

不思議という名前の天使もおられるということを記憶しておきましょう。

そして祭壇にいけにえを捧げると炎の中を天使が天に上って行き、マノアはますますひれ伏しました。

最初に妻のところに来てマノアに現れなかったのは、妻が天使に言われたことを素直に受け取るし、物分かりが良かったからでしょう。

士師記13:22 「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」

ところが妻は冷静です。

士師記13:23 「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から全焼のいけにえと穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、いましがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったでしょう。」と、落ち着いて答えています。

私たちもいつも冷静でありたいと思います。

天使が来られたとか、神様を見たと慌てないものになっていきたいです。

その後、産まれた子どもがサムソンです。

大きくなったサムソンの目的はペリシテの支配に対して戦っていくということでした。ーーーーーー2


士師記14章です。

サムソンはあるペリシテの女性を気に入り自分の妻にしたいと両親に言います。

「ユダヤに女がいないと思うのか、異邦人、しかも割礼を受けていないペリシテ人の妻を迎えるなど考え直しなさい」と諭しますが、サムソンは彼女が気に入ったということです。

実はそれは神の計画です。

ペリシテ人との争いを起こす、戦っていく口実です。

士師記14:4 「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。」

主によってサムソンはペリシテの女の人に興味を持つようになっていたということです。

士師記14:5 一頭の若い獅子がやってきます。

6節 素手で子ヤギを引き裂くように獅子を引き裂いて殺してしまいます

彼は自分の怪力のことは両親には言わなかったとあります。

自慢話しをしたいところですが、そういうことはせず、うちに秘めておきました。

そしてサムソンはその女の人と話して結婚しようということになります。

「しばらくたってから、サムソンは、彼女をめとろうと引き返して来た。そして、あの獅子の死体を見ようと、わき道に入って行くと、見よ、獅子のからだの中に、蜜蜂の群れと蜜があった。」(士師記14:8)

しばらくたって、引き返した道で殺した獅子を見てみると、その体の中に蜜蜂の巣がありました。それを食べながら、また父母にも食べさせようと思って持ち帰ります。

そして宴会を開き、30人の客が連れて来られました。

彼は結婚の披露宴で謎かけをします。

「サムソンは彼らに言った。「さあ、あなたがたに、一つのなぞをかけましょう。もし、あなたがたが七日の祝宴の間に、それを解いて、私に明かすことができれば、あなたがたに亜麻布の着物三十着と、晴れ着三十着をあげましょう。

もし、それを私に明かすことができなければ、あなたがたが亜麻布の着物三十着と晴れ着三十着とを私に下さい。」すると、彼らは言った。「あなたのなぞをかけて、私たちに聞かせてください。」(士師記14:12,13)

 ーーーーーーーー3

これらのものをかけて謎かけをします。

士師記14:14 「食らうものから食べ物が出、強いものから甘いものが出た。」

3日経っても彼らは解き明かすことができません。

4日目になり、彼らは作戦を立てます。

ペリシテ人はサムソンの妻に「私たちからはぎ取るために招待したのではないだろう。夫から聞き出せ。でなければ父親の家とあなたを火で焼いてしまうぞ」と脅すので、妻はサムソンから聞き出そうとします。

士師記14:16 サムソンは父にも話していないことをあなたに明かさなければならないのかと言います。

そして7日目になりました。

「彼女は祝宴の続いていた七日間、サムソンに泣きすがった。七日目になって、彼女がしきりにせがんだので、サムソンは彼女に明かした。それで、彼女はそのなぞを自分の民の人々に明かした。」(士師記14:17)

妻はサムソンに泣きすがって聞き出し、ペリシテ人に伝えました。

食らうものというのは捕食動物である獅子のことで、その中に蜂蜜があったことを言い当てられてしまいました。

逆にサムソンが30着の着物を用意しなければならなくなりました

士師記14:18「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、私のなぞは解けなかったろうに。」

つまり私の妻から聞き出したんだろうということです。


「そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らからはぎ取って、なぞを明かした者たちにその晴れ着をやり、彼は怒りを燃やして、父の家に帰った。」(士師記14:19)

婚礼の宴でしたが、別の場所の住民を殺し略奪した着物を謎解きした相手に渡して怒りのまま家に帰ります。

お嫁さんはその客の1人の妻になってしまいました。

士師記15章 サムソンは、怒りはしましたが、結婚して自分の妻だと思っていますので、1匹の子ヤギを持って訪ね、自分の妻の部屋に入りたいと言います。

父親は、あなたが怒ったので娘を気に入らないと思い、娘はもう他の人に嫁いでいること、妹のほうがきれいなので代わりに妹で我慢してくれと言います。

「すると、サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私には何の罪もない。」(士師記15:3)

私がこれからやることに罪はないと言いました。

サムソンは出ていってジャッカルを300匹捕らえ、2頭の尾をつないで松明をその尾の間につけて野に放ち、立穂、オリーブ畑に至るまでを燃やしてしまいます。

ペリシテ人たちは、サムソンの妻の父親が娘をほかの人に嫁がせたことが原因だとし、その娘と父親を火で焼くということが起きました。

サムソンは自分の妻、またその父親を殺した彼らに言いました。

「すると、サムソンは彼らに言った。「あなたがたがこういうことをするなら、私は必ずあなたがたに復讐する。そのあとで、私は手を引こう。」(士師記15:7)

 ーーーーーーー4

復讐すると決め、その後で手を引くと言います。

士師記15:8「そして、サムソンは彼らを取りひしいで、激しく打った。それから、サムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。」

ペリシテ人がユダを攻めに来ました。

ユダの人たちにサムソンを縛って連れてこいというわけです。

そこでユダの人々三千人が来てサムソンと話します。

サムソンは自分の民族を殺したくないので私を殺さないならば縛って相手に渡してもいいと言います。

そうして縛られてサムソンが敵の元に行くと、敵が大声あげて近づいて来ました。

「サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から解け落ちた。」(士師記15:14)

サムソンを縛っていた綱は火で燃えて解けてしまいました。

そして彼は生新しいロバの顎骨を見つけ、それで千人を打ち殺しました。

「そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主に呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」(士師記15:18)

千人も撃ち殺すには体力がいります。

しかも何も飲まずにやっていました。

のどの渇きを覚えたけれども飲む水がないその時に神の助けがやってきます。

「すると、神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれ、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復して生き返った。それゆえその名は、エン・ハコレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。」(士師記15:19)

ーーーーーー5

この時代、王がいません。

他の国では王様がいますが、モーセの時も王ではなくて祭司でした。

この時は士師の時代で、サムソンはその士師です。

彼は20年間イスラエルをさばきました。

彼はナジル人ですが、きよい生き方をしていたわけではありません。

では彼の力の源は何なのか。

ナジル人ではありますが、どうしてそのパワーがあるのか。

また、サムソンは女性好きな人で、士師記16:1 遊女を見つけ彼女のところに入って生活をしていました。

サムソンがそこにいることが分かったのでペリシテ人は待ち伏せをします。

「このとき、「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはサムソンを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。そして、明け方まで待ち、彼を殺そうと言いながら、一晩中、鳴りをひそめていた。」(士師記16:2)

ところが夜中にサムソンが起きてきて、2本の門柱をつかんで、かんぬきごと運んでいきました。

このような怪力なので、何もされずに助かります。

その後、今度はお嫁さんを見つけます。

士師記16:4 デリラに出会います。

デリラはペリシテ人の女で、サムソンはこの女性を愛します。

ペリシテ人の女性ですから彼女は自分の民族の味方です。

「すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」(士師記16:5)

一人当たり銀千百枚をくれるとの話です。

10人、100人いたら大金がデリラにもたらされます。

サムソンはデリラが好きですが、デリラはサムソンよりお金が好きなので、懸命にサムソンの秘密を聞き出そうとします。

士師記16:6「あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。」

「サムソンは彼女に言った。「もし彼らが、まだ干されていない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」(士師記16:7)

デリラはサムソンが言ったようにして縛り上げました。

デリラは奥の部屋に人を待ち伏せさせていましたが、サムソンは簡単に糸が火に触れて切れるようにその弓の弦を断ち切りました。

騙されたデリラはどうしたらあなたを縛れるか教えてくださいと再度聞きます。

「すると、サムソンは彼女に言った。「もし、彼らが仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」(士師記16:11)

サムソンは再度答えますが、今回も綱はサムソンによって糸のように切り落とされてしまいます

「デリラはまた、サムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして、うそをつきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」 サムソンは彼女に言った。「もしあなたが機の縦糸といっしょに私の髪の毛七ふさを織り込み、機のおさで突き刺しておけば、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」(士師記16:13)

三度目もサムソンは機のさおと機の縦糸を引き抜き、何の効力もありませんでした。

「そこで、彼女はサムソンに言った。「あなたの心は私を離れているのに、どうして、あなたは『おまえを愛する』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのかを教えてくださいませんでした。」(士師記16:15)

デリラは、3回も騙して自分を愛していないのかとサムソンをなじります。

士師記16:16「毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。」

愛する女性から責め立てられ、ついに本当のことを言ってしまいます。

 ーーーーーーーーー6

「それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力が私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」(士師記16:17)

彼はナジル人で、ナジル人は髪の毛を剃らない、頭に剃刀を当ててはいけない、ずっと長髪できていました。それが秘密でした。

デリラはサムソンが自分の心を全部さらけ出したとペリシテ人に伝えます。

ペリシテ人は、今度は銀を持って上ってきました。

そして、彼女はサムソンが寝てる間に彼の髪の毛をそり落とさせます。

「彼女は自分のひざの上でサムソンを眠らせ、ひとりの人を呼んで、彼の髪の毛七ふさをそり落とさせ、彼を苦しめ始めた。彼の力は彼を去っていた。」(士師記16:19)

サムソンは寝ている間で苦しみましたが、力が去っていたことは知りません。

そして彼女はまた同じように「ペリシテ人が襲ってきました」と言います。

サムソンは目を覚まして、また前のようにしてやろうと言いました。

しかし、彼は主が自分から去ったことを知らなかったので、捕まえられて両目をえぐり出されてしまいました。

サムソンは普通の人のようになって青銅の足かせをつけられて牢の中で臼を引く仕事をさせられていました。

そうするうちに時間が経ってサムソンの髪の毛は伸びてきたのです

しかし相手は知りません。

「さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえをささげて楽しもうと集まり、そして言った。「私たちの神は、私たちの敵サムソンを、私たちの手に渡してくださった。」(士師記16:23)

偶像崇拝している偶像が自分たちを勝利させ、サムソンを渡してくださった。

それはダゴンの神のおかげだと大ぜい集まってきます。

そしてサムソンを見せしめにしようとして、彼らが陽気になった時に呼び出しました。

サムソンをみんなの前で柱の間に立たせました。

「サムソンは自分の手を堅く握っている若者に言った。「私の手を放して、この宮をささえている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」(士師記16:26)

 ーーーーーーーーーーー7

その会場には約3000人の人たちがいました。

サムソンが演技するの見ていたということです。

彼は祈ります。今まで喉が渇いたら水を得るなど、与えられた力を行使してきました。

サムソンは罪を犯しましたが髪の毛が伸びてきました。

サムソンはナジル人ですからパワーが戻ってきても、それが自分の力だとは思っていません。

いつも主に願います。

「サムソンは主に呼ばわって言った。「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」(士師記16:28)

Ⅰ歴代誌16:22<Touch not the anointed>「わたしの油そそがれた者たちに触れるな。」

油注がれたナジル人、神の霊がサムソンの上にあるものとしましたので、彼が願ったことは聞き入れられるわけです。

サムソンは自分の目のためにもう一度復讐したいと言いました。

士師記16:29「そして、サムソンは、宮をささえている二本の中柱を一本は右の手に、一本は左の手にかかえ、それに寄りかかった。」

「そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者より多かった。」(士師記16:30)

サムソンは生きている間に多くのペリシテ人を殺しましたが、死のうとした時に殺した人のほうが多かったのです。

生きている間より死のうと思った時の勝利があります。

私たちもそうです。

ガラテア2:20 私たちは死にました。もはや私は生きていません。キリストが生きている。私たちは生きていながら死んだことになります。

私たちが死ぬとき、死ぬという意識を持った時、キリストの力が出る。

サムソンは、今まで遊女を買うなど色んな正しくないことをしてきました。

その彼の力は髪の毛にあり、彼が何をしたかではなく髪の毛がその力の拠り所でありました。

ゆえに髪の毛を切ったら力が去る。

彼は髪の毛が長い間、聖霊によって強いのです。

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)

私たちも圧倒的勝利者です。

そのために必要なもの、サムソンの場合は髪の毛です。

私たちはイエスの名を持っている、使える、神の子だということです。

そして in Christ、キリストの中にあるということです。

それは、人の目には分からない。

サムソンの力が髪の毛とは人の目には分からない。

相手が問題にすらならない力をサムソンが持ったように、私たちはその力を持っているのです。

その力を発揮することができる者であることをしっかり知らなければなりません。

新約の中でイエス様が私たちの罪を解決しました。

サムソンの時代では罪のない人はいません。

罪ある人に神の力を現すための霊が宿っている時、罪を犯したらその力は去っていきます。

髪の毛を切ったらナジル人のしるしがなくなるので力が去っていくのです。

私たちも罪を犯すことがありますが、Ⅰヨハネ1:9節にあるように、罪を告白するなら赦されます。

私たちは、私たちの力の源である神の子であることを知られても、in Christであることを知られても、サムソンのように力を失うことはありません。

 ーーーーーーー8

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)

私たちは罪に定められることは決してない者となっています。

サムソンの親族が、崩れ落ちた神殿の中から彼の遺体を引き取り、父親の墓に納めました。

サムソンの時代はペリシテの支配の中にありましたが、アブラハムの祝福を受けているユダヤ人がなぜそうなっていたのでしょうか。

神の計画、イエス様へいく系図を取り戻すためには、いつまでもユダヤの民族が支配され続け虐げられるわけにはいきません。

しかし、それを阻んでいたのはユダヤ人の罪です。

イスラエルの国の全ての異邦人を聖絶しなかったからです。

そこが問題なのです。

サムソンの働きは信仰ではありません。

罪ある者であったけれど聖霊の賜物で働いたのです。

私たちも病人に祈る時に、その人が未信者でも偶像崇拝者であっても治ることがあります。それは聖霊の力である賜物で起きています。

新約の私たちは聖霊の賜物が働くことがあるし、信仰があるので信仰で勝利することができます。

しかし、旧約の人たちで私たちのしるしより大きいと思う人は聖霊の賜物なのです。

信仰は彼らにはないのです。(J-Bibleを開いたらいいと思います)

旧約聖書に信仰というのは3つぐらいしか出てきません。

新約には出てきます。

私たちは信仰で戦うことができるし、聖霊の賜物が働けばそれで戦うことができるのです。—-////9

当時、カナンの地を聖絶しなかったので問題が起きました。

今は「敵を愛しなさい」です。

異邦人である私たちも救われます。

だから人を殺す、仕返しする、さばく、復讐するとかはありません。

私たちがしなければいけないのは、心の中を聖絶することです。

心の中に、赦せない人がいる、罪の思いを持っていると邪魔をするのです。

サムソンはユダヤ人であり割礼を受けている。

ナジル人である髪の毛を切らない。剃刀を当てない。

その条件の中で神のわざをしました。

私たちの条件は、ローマ書2:29「心の割礼」

私たちは包皮の割礼はしません。

心の割礼です。

イエス・キリストを信じた時にそのようになっていくのです。

旧約の人たち、ナジル人であったサムソンは条件を満たさないので、神の霊が去ってしまいました。

ナジル人についてです。

サムソンは生まれながらのナジル人です。

生まれながらでない人は誓約、誓願を立てて一時期、ナジル人として生きる。

二通りあると思います。

サムソンは女性好きで遊女を買春するような不道徳な生活をしていても、自分の力ではなく、条件の元で神の力が現れ、それが働きました。

それは神の力を現すためです。

律法を守れる正しい人はいません。

私たちはイエス・キリストを信じて罪の解決がなされていますので聖霊を留まらせることができるのです。

私たちは髪の毛を切った、罪を犯したということで聖霊は去りません。罪を犯しても天国へ行けます。イエス様があなたの犯す罪を全部払ってくださっているからです。

しかし、条件があります。

その条件とは私たちの告白です。

罪があれば罪の告白。

聖餐式をする、礼拝する、献金する。

また、山に向かって動いて海に入れと信じて言えばその通りになるという力があるのにそうしないならば勝利はありません。(マルコ11:23)

サムソンは敵に向かっていくとき勝てると思っていた。だから勝利したのです。

そういう力があるのに自分で諦めて戦わなければ私たちは勝利しません。

私たちには最高の名前、イエスの名前があるのです。—-/-——–//////。10が、実は簡単にまとめられています。——-‘

要点です。

「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。」(Ⅰヨハネ3:23)

二つです。

イエス様の名前の力を信じること。

愛すること。

愛していたら、神の前に罪があれば告白するし、聖餐式をするし、礼拝するし、献金するでしょう。

これはイエスの名を信じること、愛することなのです。

神を愛すること、人を愛すること。これが私たちの条件です。

その時に私たちは圧倒的勝利者であり続けていくわけです。

私たちは義なので聖霊は去りません。

旧約は義がないので条件を満たさないとすぐ去っていく。罪を犯すと去っていきます。

私たちはイエス様の名前を信じ、神を愛し、人を愛する条件を満たしていきます。

できないことは告白すれば赦されていきます。

神の祝福、力、守りが私たちに働くのです。

注目したいのは、サムソンが一番、力を発揮したのは彼が死のうと決意した時だということです。

私たちもそうです。

私たちは自分に死ぬ。

自分が死ぬというのは、イスラエルの民がカナンの地を聖絶したように、自分に死ねば自分がこうしたい、ああしたいではなく、自分の心を完全制圧し、イエス様がしたいように生きるということです。

イエス様に生きてもらう時に私たちが最高の力を発揮できるのです

イエス様を信じているが、心の中で神様以外に、妻が、息子が、娘が、お金が一番だと思っている人は神を一番にしなければいけません。

クリスチャンならば神を一番にしたら神の愛があなたに宿り、その神の愛を妻に流すことができるのです。女性なら神の直接の愛を受けて夫に仕えることもできる。夫からも神の愛を受けていくようになってくる。

だから私たちは死ぬことです。もう死んでいるのです。ーーーーーーー11

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

イエス・キリストを信じたあなたはもう死んだのです。

自分が生きたいように生きるのではなく、キリストが生きたいように生きる。

あなたを通して、サムソンを通して、キリストが死から立ち上がるように、日本の国をキリストの国にしたいと神様は考えておられるのです。

あなたを通してあなたの家庭を変えたいと思っておられるのです。

自分が一番、自分のために全てのものに動いてもらうということではなく、自分が死んで周りの者のために愛し生きようと思う時、キリストがそこにおられ、その力が現れ現れるのです。

サムソンに油注ぎがある時、聖霊が留まる時に神の力が現れたのですが、彼に一番神の力が現れたのは自分が死んだ時です。

カナンの地に問題があったのはカナンの地を聖絶せず生かしておいたからです。

私たちのうちに生かすものはなく、死んでキリストの願うものを願い、キリストの嫌うものを嫌う。偶像を嫌う。そうする時、あなたは勝利の道を歩んでいくのです。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなた方はその神殿です。」(Ⅰコリント3:16,17)

私たちは神の神殿を心に持っています。

神殿とは神がおられるところです。

神の霊、神ご自身が聖霊として私たちの中におられるのです。

神はあなたを絶対壊さない。

サムソンは髪を切ったら力を失っていきましたが、私たちは神の力を失いません。

しかし、あなたが神殿、つまりイエス・キリストをやめたと言ってイエス様から出た時、イエス様が成した十字架による罪の解決からの恵みを失います。

私たちが罪赦されて天国に行けるのはイエス様の中にいるからです

ここを絶対間違ってはいけません。

キリストが生きているならば私たちは圧倒的勝利者としての生き方ができるのです。

私たちは信じただけで自分は死んだことになっており、キリストに生きてもらうのです。

心の中を神の思い、みことばにあった思考に変えていく。

このような時、勝利の人生を歩んでいけると思います。

お祈りいたします。天のお父様、感謝します。

全ての栄光をあなたにお返します。

神のご計画、サムソンを通してペリシテの支配から解放される戦いが始まりました。

そして、私たちを通して日本の国で多くの人がクリスチャンになることが起こってくるように一人一人を用いてください。

私たちは出来ます。あなたが私たちの中にいるからです。

サムソンにはペリシテ人が敵でなかったように、私たちにサタンは敵ではありません。

私たちは圧倒勝利者であることを感謝します。

  1. 栄光を主にお返しします。イエス様の名前でアーメン

Back To Top